小説「新・人間革命」 共鳴音39 7月3日
五月十八日、山本伸一はロンドンに向かった。
このイギリス訪問の目的の一つは、トインビー博士との対談集の特装本と、創価大学名誉教授の称号の証書を、博士に届けることであった。
トインビー博士と伸一との対談は、一九七二年(昭和四十七年)、七三年(同四十八年)に、合計約四十時間にわたって行われた。
その対話と、書簡を通してのやりとりをまとめ、編集した日本語版の対談集『二十一世紀への対話』が、この年の三月に発刊されたのである。
伸一は当初、直接、博士と会って、対談集と名誉教授称号の証書を手渡そうと考えていた。しかし、博士はイングランド北東部の都市ヨークで病気療養中であるとのことであった。
“お会いしたいが、お訪ねすることで、ご迷惑をおかけするようなことがあってはならない”
そう考えた伸一は、博士が勤めていた王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)を訪ね、博士の秘書をしていた方に、託すことにした。
博士とはお会いできなくとも、ロンドンまで自分が足を運んで、博士へのお見舞いと感謝の思いを伝えたいとの気持ちからであった。
また、イギリスの組織が、このほど法人資格を取得し、新たに理事長を中心に出発を期すことから、ぜひ渡英し、祝福したかったのである。
ロンドンに到着した日の夜、伸一は、五十人ほどのメンバーが集って、市内のレストランで行われたイギリスの代表者会に出席した。
席上、彼は、イギリスの組織が法人資格を取得したことを祝福するとともに、メンバーの健闘を讃え、ロンドンに会館を設置することを提案した。
ロンドンには、二間のアパートを借りたロンドン事務所があったが、二十人ほど入れば仏間もいっぱいになってしまう、小さなものであった。
それだけに会館の誕生は、皆の念願であった。
「この会館の設置については、私も、友人として、できる限りの応援をさせてもらいます」
大拍手が起こった。
伸一は、その会館から、トインビー博士も期待していた、新しい精神の復興運動の波を起こしてほしかったのである。
会館は社会を照らす精神の灯台である。
このイギリス訪問の目的の一つは、トインビー博士との対談集の特装本と、創価大学名誉教授の称号の証書を、博士に届けることであった。
トインビー博士と伸一との対談は、一九七二年(昭和四十七年)、七三年(同四十八年)に、合計約四十時間にわたって行われた。
その対話と、書簡を通してのやりとりをまとめ、編集した日本語版の対談集『二十一世紀への対話』が、この年の三月に発刊されたのである。
伸一は当初、直接、博士と会って、対談集と名誉教授称号の証書を手渡そうと考えていた。しかし、博士はイングランド北東部の都市ヨークで病気療養中であるとのことであった。
“お会いしたいが、お訪ねすることで、ご迷惑をおかけするようなことがあってはならない”
そう考えた伸一は、博士が勤めていた王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)を訪ね、博士の秘書をしていた方に、託すことにした。
博士とはお会いできなくとも、ロンドンまで自分が足を運んで、博士へのお見舞いと感謝の思いを伝えたいとの気持ちからであった。
また、イギリスの組織が、このほど法人資格を取得し、新たに理事長を中心に出発を期すことから、ぜひ渡英し、祝福したかったのである。
ロンドンに到着した日の夜、伸一は、五十人ほどのメンバーが集って、市内のレストランで行われたイギリスの代表者会に出席した。
席上、彼は、イギリスの組織が法人資格を取得したことを祝福するとともに、メンバーの健闘を讃え、ロンドンに会館を設置することを提案した。
ロンドンには、二間のアパートを借りたロンドン事務所があったが、二十人ほど入れば仏間もいっぱいになってしまう、小さなものであった。
それだけに会館の誕生は、皆の念願であった。
「この会館の設置については、私も、友人として、できる限りの応援をさせてもらいます」
大拍手が起こった。
伸一は、その会館から、トインビー博士も期待していた、新しい精神の復興運動の波を起こしてほしかったのである。
会館は社会を照らす精神の灯台である。