小説「新・人間革命」  12月26日 新世紀33

 往復書簡では“老い”の問題もテーマとなった。井上靖は、「八十九歳(数え年)の死の直前に次々に傑作を描いた鉄斎という画家を立派だと思わないわけにはゆきませんでした」と述べた。

 山本伸一は、この富岡鉄斎の話を受けて、“老い”について語った。

 老醜、老残などという言葉があるように、“老い”は、ともすれば否定的に考えられがちだが、それは、誰も避けることのできない、「人生の総決算、総仕上げであり、その生の完結」であるとして、こう述べた。

「私はかねがね人生の本当の勝負というものは、老境にいたって決まるものである、最後の姿がその人の人生のすべてと言えると考えてきました。

 半生を一つの砥石として磨き上げた清冽な生命の輝きが、そのまま昇華されていくわけです。逆に、怠惰と憂鬱の半生は、その老いの姿にもまた不幸な影を宿しているもののようです」

“老い”の美しさ、美しく老いることは、人生のいかなる時期の美しさよりも「尊い美しさ」である。

晩年というのは「人生の秋」であり、その美しさは「紅葉」の美しさではないか。「老いの美しさというものには、ある深さがこめられている」――というのが、伸一の意見であった。

 そして、彼は、その象徴として、「トルストイの晩年の顔が好きです」と記した。人生の最後に家を出て、旅の途次で倒れたトルストイは、その臨終の床でも、不幸な人びとのために泣いたと伝えられている。

 伸一は、十一月に認めた手紙には、今度は“青春”について記している。

「私は青春とは、たんに年齢的な、または肉体的な若さというだけのものではないと思います。青年期の信念を死の間際まで貫き、燃やしつづけるところに、真実の青春の輝きがあると考えます」

「私も私なりに生涯青春の、精神の若々しさだけは失いたくないと、しみじみ思っております」