小説「新・人間革命」  12月27日 新世紀34

井上靖は返書のなかで、山本伸一の「“生涯青春”であらねばならぬという考え方は、老いも、若きも持たなければならぬと思います」と賛同し、さらに、こうつづった。

 「青春の姿勢を、死の瞬間まで崩すべきではないでありましょう。しかし、こうしたことは、一朝一夕にできることではなく、青壮年期をそうした姿勢で貫いて来て初めて、老いてもなお、それを望み得ることであるに違いないと思います。

 私もまた“生涯青春”を心掛けようと思いますし、実際にまた心掛けて来ております」

 井上は新たな挑戦を怠らぬ人であった。日々、健康にも留意し、体も鍛え続けていた。

 “生涯青春”は、彼の生き方にほかならなかった。ゆえに、その言葉は、井上の胸中に深く、強く、鮮烈に響き渡ったのであろう。

 彼は、この書簡に、新しき年を迎える、挑戦の決意を書きとどめている。

 「今年は、凧に似たものを烈風の中に高く揚げようと思いましたのに、つい果しませんでした。しかし、高く揚げようという気持は持ち続けて来たと思います。

来年もまた、同じことを繰り返すことでありましょう。生涯青春、生涯青春、――たいへんすばらしい言葉を頂戴した思いであります」

 「凧」とは信念の事業を意味していよう。烈風に挑み、空高く信念と挑戦の「凧」を揚げるのだ。命の燃え尽きる瞬間まで、友を励まし、勇気づけながら、理想への前進を続けるのだ。その人生こそが、まばゆい青春の光彩に満ちているのだ。

 ――『潮』誌上での、伸一と井上靖との往復書簡は、翌一九七六年(昭和五十一年)の六月号まで十二回にわたって続けられた。

 論じ合ったテーマも、生死や老いの問題、祈り、故郷、カント、利休、トルストイなど、幅広かった。しかし、井上は、難解なテーマも、淡々と、わかりやすく論じた。

 そして、七七年(同五十二年)四月には、この往復書簡は、単行本『四季の雁書』(潮出版社)として発刊されている。