小説「新・人間革命」 1月20日 新世紀50

松下幸之助にも、仕事のことを考え、悩んで、眠れないことは何度もあったという。

 悪いことをする従業員がいて、悩み抜いた時もあった。しかし、そのなかで、現実を見すえ、「自分が、いい人だけを使って仕事をやるというのは虫がよすぎる」と気づく。

 すると、気分も楽になり、人を許す気持ちにもなり、以来、大胆に人を使えるようになったというのである。

 「そういう悩みから、いわば一つの悟りをえたわけで、今となってみれば、苦闘でもなんでもなく、あれもいいことだったなという感慨が残っているのです」

 苦悩に学び、苦悩をバネにしてきたのだ。

 松下は、さらに続ける。

 「私の場合、その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるように思われます。

そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが苦労とか苦闘を感じさせなかったのではないかと思っております」

 “さすが、「人生の達人」の答えだ”と、山本伸一は思った。おそらく、苦闘についてのこの実感は、人生の勝利者の多くに共通したものであるにちがいない。

後年、伸一と対談集を編んだブラジル文学アカデミーアタイデ総裁も、こう語っていたことがある。

 「私は十代の終わりから、働き抜いてきました。しかし、苦労したなどと思ったことはありません。ただただ命がけで仕事をしてきただけです」

 自身を完全燃焼させ、その時々の自らの課題に懸命に取り組む人にとっては“苦闘”などという思いはない。あえて言えば、それは“歓闘”といえるかもしれない。

 また、松下に、生涯の指針、モットーとしている言葉を尋ねると、「素直な心」との答えが返ってきた。

それは「私心なく曇りない心」であり、「一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心」だという。

そして、この「素直な心」が、人間を正しく強く聡明にし、宇宙の根源力にも直結する道だというのが松下の考えであった。