小説「新・人間革命」 1月21日 新世紀51

仏法には「恩」という考え方がある。それはタテ社会の主従関係を強いるものではない。

「一切衆生の恩」が説かれているように、心を社会へと広げ、他者の存在を受け入れ、信頼の眼を開いていく哲学ともいえよう。

 山本伸一は、この「恩」について、松下幸之助に意見を求めた。

 松下は「恩」を最重要視していた。「感謝報恩」は、自身の「処世の基本」であり、自社の社員の指針の一つでもあるという。

 それは「この思いこそ、われわれに無限の喜びと活力を与えてくれるものであり、この思いが深ければ、いかなる困難も克服でき、真の幸福を招来する根源ともなる」からであり、

「恩を知るということが一番心を豊かにする」ものだと記していた。

 伸一は感服した。

 さらに、松下は、こう解説する。

―恩を知るということは無形の富であって、無限に広がって大きな価値を生む。猫に小判というが、猫にとっては小判も全く価値はない。

しかし、恩を知ることは、その逆で、鉄をもらっても、金をもらったほどの価値を感じる。つまり、恩を知ることには、鉄を金に変えるほどのものがある。

 そして、恩を感じた人は「金にふさわしいものを返そうと考える。みんながそのように考えれば、世の中は物心ともに非常に豊かなものになっていく」というのだ。

 もとより、恩や恩返しは、決して要求されたり、強制されたりするものであってはならない。自由ななかで恩について理解を深め、この考えを、浸透させていく必要がある――それが松下の主張であった。

 彼は「豊かな情操を育てるうえで、いわゆる音感教育というものが重視されているようですが、それ以上に、いわば『恩感教育』というものを、近代的な姿で行なっていくことが大事だと思うのです」と結んでいる。

 父母や一切衆生の恩、報恩感謝の道を教える仏法を、民衆に弘め、実践する創価学会には、その「恩感教育」の生きた姿がある。