小説「新・人間革命」  1月22日 新世紀52

松下幸之助山本伸一が、互いの質問に対する回答を、ほぼ終えたころ、『週刊朝日』の編集者から、これを公開してはどうかとの話があった。

松下も、伸一も、もともと公表を意図して始めたものではなかった。

 しかし、編集者の熱心な勧めに従い、二人は了承した。

 編集者は、三百の問いと答えのなかから、時局にふさわしいテーマを選び、一九七四年(昭和四十九年)十月十一日号から連載を開始した。

そして、往復書簡は、七五年(同五十年)の六月二十七日号まで計三十五回、八カ月半にわたって連載された。それでも、掲載された分は、交わした書簡の三分の一ほどであった。

 六月の下旬、連載の終了にあたって、松下と伸一は会談した。その折、『週刊朝日』には掲載されなかった、人生や人間などについて論じ合ったものなど、すべてを収めて本として残してはどうかということになった。

 そして、この年の十月に、『人生問答』のタイトルで、上下二巻の単行本として、潮出版社から発刊されたのである。各質問と回答は、「人間について」「豊かな人生」「宇宙と生命と死」「繁栄への道」「宗教・思想・道徳」「政治に望むこと」「社会を見る目」「何のための教育か」「現代文明への反省」「日本の進路」「世界平和のために」の十一章に分類された。いかに多岐にわたる書簡が交わされたかが、よくわかろう。

 『人生問答』は、伸一にとって、財界人との初の往復書簡集となった。これを読んだ学会員は、松下の意見が、仏法の考え方に極めて近く、多くの点で、伸一の主張と見事に共鳴し合っていることに感嘆した。

 天台大師は「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べている。治生産業とは、社会生活や生産活動など、世間における人びとのさまざまな営みである。

それは、仏法と決して別のものではないというのだ。 ゆえに、社会の一流の人物の生き方、考え方は、仏法と響き合うのである。