小説「新・人間革命」 2月26日 潮流27

長崎で被爆した徳田信八郎は、青年時代を大阪で過ごし、やがて、学会の広島県の中心者として活動するようになる。

 徳田は、そのなかで、自分は仏法者として、原水爆の禁止を、世界の平和を、叫び抜く使命をもって生まれてきたのだという、深い自覚をもつようになった。

 人は「宿命」を「使命」に転じた時、一切を転換する無限の力を発揮する。

 また、メンバーのなかに、松矢文枝という婦人がいた。彼女は結婚し、身ごもっていた時に、ヒロシマの爆心地から、一・五キロのところにあった自宅で被爆した。家のガラスは砕け散ったが、幸いに怪我は免れた。

 しかし、実家の母も、妹も、亡くなった。彼女は十月に長男を出産したが、子どもは病気を繰り返した。「小学校に上がるまで生きられないだろう」と医師は告げた。

 彼女自身も貧血やリウマチなど、七つもの病で苦しみ続けた。目まいや痛みに悶えながら、原爆を落としたアメリカを呪った。

 長女も生まれたが、やはり、貧血で苦しまなければならなかった。

 長男が十歳の時、松矢文枝は、創価学会に入会した。一九五六年(昭和三十一年)三月のことである。体の弱い子どもたちが、元気になってほしいとの一心からであった。

 その翌年の九月八日、彼女は、横浜・三ツ沢の陸上競技場で行われた、青年部東日本体育大会「若人の祭典」に参加することができた。そこで、戸田城聖の、あの「原水爆禁止宣言」を聞いたのである。

 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」

 「たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります」

 その一言一言が彼女の胸に突き刺さった。