小説「新・人間革命」  12月25日 未来32

山本伸一は、東京に帰ると、札幌創価幼稚園に、雌雄一対の銀鶏を贈った。

銀鶏はキジ目キジ科の鳥で、雄は、頭頂が緑で後頭部が赤く、白地に藍色の縞模様がある。雌は、雄の半分ほどの大きさであり、茶色である。

 さらに、六月上旬には、同じキジ科の雄の錦鶏を贈った。金色の冠羽に、金色のくちばしをもつ、王者の風格を備えた鳥であった。

 伸一は、子どもたちが好奇心に目を輝かせ、喜んで鳥を観察する姿を思うだけで、嬉しくなってくるのだ。

 六月二十日、札幌創価幼稚園では、初の運動会が行われた。

この日、幼稚園の敷地内に創価教育の父・牧口常三郎が揮毫した「教育」の文字を刻んだ石碑と、伸一が揮毫した「つよく ただしく のびのびと」の文字を刻んだモットーの石碑が除幕された。

 幼稚園では、皆でこのモットーを唱和し、覚えるようにした。園児たちが、生活のなかで、困難なことに挑戦する「負けじ魂」を育み、善悪を見極め、明るく朗らかな人間性を培っていく規範とするためである。

 幼年期に、身についた生き方の規範は、人格の土台となり、根っことなっていく。それを教えることに、幼児教育の眼目がある。

  山本伸一が、再び札幌創価幼稚園を訪問したのは、一九七六年(昭和五十一年)の十月二十六日のことであった。

 「せんせい、きた、きた!」

 正午過ぎ、車で幼稚園に到着した伸一を見つけると、子どもたちは小躍りした。満面の笑みで走ってくる園児たちを、伸一は、次々と抱き寄せ、頬ずりし、再会を喜び合った。