小説「新・人間革命」  2月15日 学光16

通信教育部の授業を担当するのは、通学課程同様、学長をはじめ、学部長、教授などの、優れた教師陣である。その教員たちを驚嘆させたのは、通教生の真剣な受講態度であった。

 なかには、教員よりも年上の学生もいる。その人たちが、目を輝かせ、一言も聞き漏らすまいと講義に耳を傾ける姿に、教員たちは新鮮な息吹を感じた。

 “これは、こちらも真剣勝負で講義に当たらなければ、失礼になる!”

 講義にも、自然に力がこもっていった。教員たちは、通教生には幅広い年代や、さまざまな学歴の人がいるだけに、専門用語も、わかりやすく、かみ砕いて説明した。

 何度も「よろしいでしょうか」と確認しながら、授業を進めた。その問いかけにも、明快な気持ちよい返事が響いた。

 いかに、わかりやすく伝えるか――そこにこそ、民衆に開かれた教育の生命線がある。

どんなに高邁な内容の話であっても、それが人びとに伝わらなければ、話し手の自己満足に終わってしまう。そこに、ともすれば、学者や専門家が陥りがちな落とし穴がある。

 通信教育部を担当する教員たちは、講義に限らず、わかりやすくするための工夫を重ねていた。多くの教員が、通信教育の教科書も、自分たちで執筆したのである。

 授業が終わると、通教生たちは、質問するために、教員を取り囲んだ。教員たちは、むしろ、それを喜び、休み時間を返上して、一つ一つの質問に、親切に答えていった。

 創価教育の父・牧口常三郎は強調していた。

 「教師の人格」こそ、「あらゆる教育作業の原動力」なりと。

 通教生たちは、知の喜びに感動を覚えていた。初めて、ドイツ語などに触れ、未知の世界の扉を開いたような思いをいだく人もいた。

 また、飲食店を営んでいた婦人は、どうやって食料品などの価格が決まるのか、不思議に思っていたところ、経済学の授業で、それを学んだ。社会の仕組みが、理解できた喜びは大きかった。