小説「新・人間革命」 5月 7日 勇気30

 山本伸一は、七月に行われる参議院議員選挙でも、大阪地方区の支援の最高責任者として指揮を執った。
支援する会員の世帯数から見ても、東京地方区での当選は、ほぼ間違いないが、大阪地方区での当選は不可能であるというのが、大方の予測であった。
 しかし、結果は、人びとの予想を覆して、なんと東京が落選し、大阪が当選を果たしたのである。大阪の勝利は、朝日新聞が「"まさか"が実現」との見出しを掲げるほどの、壮挙であったのである。
 伸一をはじめ、大阪の同志の、"断じて立正安国を実現していこう"という、信心から発する情熱がもたらした勝利であった。
 「人間社会の完成をめざす重要な歩みの中で、強い宗教的信仰に根柢をもたなかったものを、私は一つだって知らない」(注)とは、十九世紀のイタリアの革命家マッツィーニの言葉である。
 翌一九五七年(昭和三十二年)四月、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた。山本伸一は、再び戸田城聖から、この選挙支援の最高責任者に任命された。
 補欠選挙とあって、一議席をめぐっての戦いとなる。学会が推薦した候補者が当選することなど、あり得ない選挙戦といえた。
しかし、戸田は、あえて、その選挙戦の指揮を、伸一に執らせた。"伸一なら、勝利できるかもしれない"との、一条の希望を託しての、戸田の布陣であったのであろう。
 しかし、その一方で、不可能の壁をことごとく打ち破り、いつも勝利を収めてきた常勝将軍の伸一を妬み、わざと無謀ともいえる戦いの指揮を執らせ、その責任を負わせようという、古参の幹部らの思惑もあった。
 ともあれ、獅子が、わが子を谷底に突き落とすといわれるように、戸田は、伸一を、勝算のない、熾烈な戦線に投げ入れたのだ。
 "地に打ちのめされても、そこから立ち上がれ! そして、必ずや、民衆勝利の旗を打ち立てるのだ!"
 それが、戸田の思いであった。
 
■引用文献 注 ボルトン・キング著『マッツィーニの生涯』力富阡蔵訳、黎明書房