【第10回】 創立者との絆は永遠 創価大学 2010-3-20

築け! 広宣流布の人材の城を
創大生の勝利が創立者の勝利
 
 「私のつくった大学に来てくれて、ありがとう!」
 創価大学創立者の池田名誉会長は、いつも、そう皆に語りかける。
 学生のためなら、どんなことでもしたい。その保護者や家族のことも、健康を、繁栄を、真剣に祈っている。それが、永遠に変わらぬ「創立者の心」だ──と。
 1979年(昭和54年)7月17日。創大の第8回「滝山祭」が、創価学園の第12回「栄光祭」と合同開催された。
 この年の4月、創立者は第3代会長を辞任。私利私欲と嫉妬の輩の謀略があった。ただ一人、創立者が盾となり、屋根となり、迫害も一身に受けたことを、学生たちは後から知った。
 創立者に会いたい!──沸騰する心を抑えて、皆、創大第1グラウンドに集まってきた。記念集会が始まるのだ。
 夕刻の丹木の丘には清風《せいふう》がそよぎ、若人の頬をなでていた。創大生、学園生がいる。東京創価小学校、関西の創価女子学園(現在の関西創価学園)の代表も参加した。
通教生、卒業生、保護者、教職員、地元市民も出席した。
 「教育は私の最後の事業」と、命を削る思いでつくった創大や学園。いかなる嵐があろうとも、創立者と創大生、学園生との絆は変わらない。
 この師弟の絆こそ、教育の根本であり、変わらぬ真理である。
 公の場に出席することを控えていた創立者。集会には、初め、その姿はなかった。師に届けと、愛唱歌の歌声や舞踊に一段と力を込めた。
 終盤にさしかかった時である。創立者が姿を現し、皆が待つグラウンドヘ駆け下りた。
 大歓喜の渦の中心で創立者がマイクをとった。
 「諸君が成長し、力を持ち、社会の立派な人材と育っていくこと、それが私の念願です!」
 そして、学園生たちと肩を組み、何度も何度も「創大学生歌」を歌った。
 この日、体育館では、上位リーグに昇格した卓球部の勝利報告を聞き、「不撓山」と揮毫した。
 記念集会の後も、「古典の家」で茶会を催す学生に「何でもしてあげるよ。大きく成長してよ」「学は力だよ。しっかり勉強してください」と述べ、茶道部に「大桜」、筝曲部に「不撓桜」と認め、贈った。
 不撓──それは、心が固く、困難に屈しないこと。
 何があろうと、創立者は永遠に創立者。毀誉褒貶に右往左往するのは、むしろ弟子の側だ。ゆえに、弟子が強くあればよい。
 揺るがぬ信念の人生を!
 断じて負けるな! 師子王の姿に、創大生は不撓不屈の「負けじ魂」を胸中に刻んだ。
 1984年(昭和59年)6月26日夕のことである。
 創立者は、創大の寮生との懇親会に出席した。
 「私は大学のために、一生懸命に働きます。来年は開学15周年だ。寮もきれいにして住みやすくします。もっと勉強しやすい環境もつくります。みんなは卒業してしまうかもしれないが、必ずそうします」
 その直後には、東京富士美術館を訪れ、文化を愛で、職員を激励。さらに──。
 午後9時24分、創立者の姿は、静まりかえった文系校舎A棟にあった。ロビーには、シルクロード研究会の展示が。「先生おかえりなさい」と書かれた張り紙に、そっと言葉を記した。
 「ありがとう。研究の大成功を祈ります。私も応援いたします」と。
 翌日には教室に足を運び、学問の友を励ました。
 その翌年には創価女子短期大学が開学。創立者は、体調を崩した直後の12月、短大1期生の授業参観に訪れている。
 女子短大は、本年4月、25周年を迎える。
 明年は創大の開学40周年。新総合教育棟の建設も進み、「学生第一」の城は一段と発展を遂げている。
 創立者の期待に応えんと、社会で奮闘する創価同窓生は、今や約8万人に。
 創大生の勝利が創立者の勝利──創立者に勝利の報告ができることこそ、創大生・短大生の最大の喜びである。