【第12回】 正義の人材の城 埼玉 2010-4-2

時代を動かす確信の声を
 
 歴史は舞台を選ぶ。
 地と人と時を得て、革命はなる。
 降り続いた雨はあがった。緑濃き森を抜けると、フランスのロワール地方を彷彿させる、気品漂う庭が。舞台は、そこにあった。
 陽光に映える満開の桜。花びらが舞う中、ピアノに向かう池田名誉会長。
 「熱原の三烈士」と楠公の力強い音律は1500人の大合唱と共に青空へ響き渡った。
 1978年(昭和53年)4月15日、大宮市内(現在のさいたま市)で行われた埼玉文化合唱祭。
 美しきハーモニー、躍動の太鼓──同志の熱演の数々に、名誉会長が演奏で応えたのである。
 鮮やかな桜色の舞台は、設営担当の男子部員らが、雨に打たれながら仕上げた。皆が会場の整備や草むしりに当たった。随所に友の真心が光っていた。
 「民衆運動が興隆する時には必ず歌がある。埼玉は、見事に先駆を切ったね!」と名誉会長。
 合唱祭は、埼玉から三重、長野、北海道、愛知、関西など全国へ。第1次宗門事件の烈風の中、民衆の底力を満天下に示していった。
 反転攻勢の82年(同57年)9月には、国内初の世界平和文化祭。91年(平成3年)12月には、魂の独立直後の本部幹部会。21世紀を開く99年(同11年)9月の文化大総会。埼玉は民衆運動の堂々たる本舞台である。
 「ロワール」──その淵源を繙けば、埼玉の使命が見えてくる。
 ロワールとは、フランス・パリから150~200㌔ほど離れたロワール川流域を指す。豊穣な大地に絢爛の文化遺産が点在する。
 15~17世紀、不安定な政情から、パリが精神的退廃の危機に。この時、ロワールが文芸復興のみずみずしい息吹を送り、フランス・ルネサンスの原動力となったのである。
 名誉会長は73年(昭和48年)、欧州を歴訪。フランスでは、パリから列車で2時間をかけ、ロワールを訪れている。
 帰国後、名誉会長は埼玉の友に呼びかけた。「妙法のロワールたれ!」と。
 埼玉が、東京を、日本を、そして時代を動かすのだ。
 御書講義に通った川越をはじめ、羽生、朝霞、志木、熊谷、川口、浦和・与野(現在のさいたま市)、上尾、所沢、三郷、戸田、日高等、名誉会長の埼玉訪問は実に66回。金の思い出は友の胸奥に輝く。
 師弟に生きる人はぶれない。その絆の真贋はいざという時にわかる。
 58年(同33年)4月2日、戸田第2代会長が逝去。名誉会長が第3代会長に就任したのは60年(同35年)5月3日。その間、約2年の空白がある。
 「学会は空中分解する」と騒ぐ世間。同志は憂いに沈んだ。
 その時、決然と声をあげたのが埼玉の青年部だ。
 「早く第3代の会長を推戴すべきである。学会の首脳たちは、何をしているのか! 第3代会長の推戴を急げ!」
 「偉大な第3代は、戸田会長以来、明確に決まっているではないか! 早く、手続きを開始せよ!」
 この大確信の声が学会首脳を突き動かし、広布の夜明けを開いたのである。
 本年は、名誉会長の会長就任50周年。それは、師弟に生き抜く埼玉の正義の50周年でもある。
 時代変革の大潮流は埼玉から! 新たな師弟の圧勝劇を世界が見つめている。