【第13回】 新潟「勇気」の旗高く 2010-4-10

越後の旅路 われは忘れじ
 
 「さあ、12年分やるよ!」
 力強い第一声だった。
 昭和58年(1983年)4月14日。新幹線開通から半年の真新しい新潟駅に、池田名誉会長が降り立った。12年ぶりの訪問である。
 降りた瞬間から、祈って動いて書いて話して、友の心に勇気の炎を点す「黄金の4日間」が始まった。
 到着した夜の新潟県総会。早速、認められた和歌が、次々と紹介される。
 「勇気」――気迫みなぎる揮毫を染め抜いた「県旗」も発表された。
 翌15日の勤行会で、名誉会長は語った。
 「信仰者の第一条件は勇気です!」
 「勇気ある実践にこそ、生き甲斐がある。幸せのためにも、勇気がなくてはならない」
 勇気は、号令されて出せるものではない。人の真心を受け取った、心の温かみの中から、わき上がるものであろう。
 豪雪も、震災も乗り越え、創立80周年の「5月3日」へ晴れ晴れと前進しゆく「勇気の新潟」。その源泉は紛れもなく、名誉会長の励ましにある。
 白鳥の湖として知られる瓢湖阿賀野市水原)の畔は、春霞の中に、爛漫の桜が、ことのほか美しかった。
 4月16日午後。名誉会長が車から姿を現す。
 「先生! お待ちしておりました!」。弾む声がした。
 十数人の地元・水原の友が「その時」を信じて集まっていた。名誉会長が過去に2度、訪れたことがあったからだ。
 大きく手を広げ、名誉会長が歩み寄る。
 「記念撮影をしましょう!」「皆さん、いい顔で撮れていますよ」。温かな笑いと感激が広がった。
 今春、94歳の長寿を全うした高野リンさんもこの時、励ましを受けた一人。
 「健康でいるんだよ。僕も祈るから、おばあちゃんも祈るんだよ」。何度も両手で頬を撫でてもらった。出会いを宝として、生きて生き抜いた。
 名誉会長は、続々と集まってきた同志の一人一人に声をかけ、手を握り、写真に納まった。
 そして、この日に詠んだ。
 
 白鳥を 見つめ しばしの  語らいに  友の真心  胸に飛びたつ
 
 後日、名誉会長は、白鳥が羽を休めるための休養島や、傷ついた白鳥のための保護収容舎を寄贈している。
 水原白鳥本部の有志も、この出会いの前年から28年間、ゴミの回収等の環境保全活動を地道に続ける。
 瓢湖で白鳥が越冬するようになって、今年で60年。
 餌付けに成功し、その礎を築いた一人の吉川繁男さん(故人)は「池田先生に休養島をいただいた。白鳥たちが喜んでいるよ」と感謝を語っていた。
 島を池田島と呼んで讃えた町の有力者もいる。
 名誉会長が、昭和58年の滞在中に認めた揮毫は計50枚。14日の県総会の後も、15、16、17日と連続で、新潟池田文化会館の勤行会に出席した。
 出発直前には「皆さんへの感謝のしるしに」とピアノ演奏もプレゼントした。
 しかも、それが終わりではなかった。山形へ向かう急行「べにばな4号」の車中から、新発田、坂町、越後下関と、列車が駅に止まるたびに、ホームの同志に手を振り続けた。
 文字通り、新潟駅から、山形との県境を列車が過ぎ去るまで続いた、激励また激励の4日間。
 名誉会長は、万感を込めて綴った。
 
 限りなく  ああ満開の  桜花  越後の旅路  われは忘れじ