【第14回】 人間の理想郷《アルカディア》! 山形 2010-4-19
天晴れて 地には桜と 笑顔あり
「一日も早く、山形の友のもとへ行こう!」
1983年(昭和58年)4月17日の午後、会長は新潟から山形へ。
列車は、山形の県花の名を冠した急行「べにばな4号」。乗った時から、次々と懐かしい山形の同志の顔が浮かんだ。
9年ぶりの訪問である。
前年の82年(同57年)1月、名誉会長と秋田の友が勝利宣言した「雪の秋田指導」。その折、名誉会長は同行した山形の武田忠県長(当時)に約束していた。
「山形にも必ず行くよ。その時、史上最高の勝利の儀式をやろう!」
午後7時40分に山形着。4時間に及ぶ旅の疲れも見せず、名誉会長は最高会議へ。そして強く語った。
「この3日間、皆様のために、できうる限りの尽力をさせていただきます」
会議の席上、一人の壮年が立ち上がった。米沢の中心者、佐藤忠美さん(現・山形明朗県議長)である。
「先生、米沢に魂を打ち込んでください!」
米沢は、第1次宗門事件で最も苦しめられた地域だった。狡猾な坊主に誑かされ、退転していく者も相次いだ。悔し涙を何回、流したことか。毎日が仏と魔の激しい攻防戦たった。
翌日、米沢文化会館に大きな書が届けられた。名誉会長の墨痕鮮やかな「米沢建設」の四文字──。
佐藤さんは固く誓った。
「そうだ! 師弟不二の米沢を建設するのだ!」
最高会議の翌18日は、山形広布23周年を祝う総会。
この日は日本晴れ。初夏を思わせる、暖かな陽光が降り注いでいた。
“山形の春”は、桜梅桃李の花の春。桜、桃、リンゴなどの花々が美しく咲き競っていた。
総会では、新会館の建設や文化祭の開催などを満載した希望プランが発表された。歓呼が止まない。
「もう一つ、嬉しい発表があります。
下条《しもじょう》、上山《かみのやま》、湯野浜《ゆのはま》、寒河江《さがえ》、村山……。名誉会長が支部の名を揮毫した書が紹介された。その数「30」。到着以来、役員の激励等の合間を縫って、名誉会長が準備したものだった。
最終日の19日は、記念の勤行会。この席でも多くの支部名の書、全国初となる本部名の書が贈られた。
会合終了後も「皆さんの思い出になれば」とピアノ演奏。演奏が終わっても、会場を後にするまで、友と握手を交わし続けた。
「もう嬉しくて、嬉しくて。“広布の春”がやってきました!」と参加者。
名誉会長は詠んだ。
天晴れて 地には桜と 笑顔あり 山形広布の 夜明けの如くに
4年後の87年(同62年)7月、山形を再訪した名誉会長が示した指針「人間のアルカディア(理想郷)」。
どこよりも師弟の絆強き「信心の王国」こそアルカディアである。仏法の根幹は「師弟」であるからだ。
名誉会長は師子吼した。
「誰人にも断ち切ることのできない師弟の生命の絆──そこに奥深き、偉大な信心の『心』がある」
2002年(平成14年)5月、中華全国青年連合会による「中国青年代表団」が“果樹王国”山形へ。
農村出身の李暁亮《りぎょうりょう》団長はサクランボを栽培する丹野勉さん(現・総県農村部書記長)の農園に、農業視察に訪れた。丹野さんは青春時代の原点──15年前、名誉会長が農園に足を運び、激励を受けた様子を、昨日のことのように語った。
李団長は感動した。
「池田先生は、一人一人に、農村地域の青年にまで希望を贈られている。
ここに、指導者の模範の姿があります!」