【第16回】 会長就任50周年 誓願の曲  2010-5-2

広布の大長征を 師と共に 学会歌と共に
 
 歌は勇気の光である。希望の泉である。正義の炎である。
 うれしい時、悲しい時、どんな時も「池田先生と共に」と決めた我らの人生。そこには常に、歌があった。悠然と指揮を執る師匠の勇姿があった。
 「本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」
 昭和35年(1960年)5月3日の、空も心も晴れわたった第3代会長就任式。この不滅の大師子吼とともに、参加者の胸に焼き付いたのは、音楽隊の奏でた勇壮な学会歌である。
 戸田会長の遺影を見つめ、入場する新会長を迎えたのは「学会の歌(花が一夜に)」。
 棹尾を飾った退場の曲は「威風堂々の歌」であった。
 青年会長との上げ潮の前進が始まると、「新世紀の歌」「世界広布の歌」、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」──魂の名曲が次々と生まれていった。
 戸田第2代会長は鋭く語っている。「民衆の興隆には、必ず歌があった。わが学会にも、歌が必要だろう」と。
 その源流は「同志の歌」。弾圧の獄中で戸田会長が作詞した。戸田会長はこの歌を、安易な姿勢で歌うことを許さなかった。
 「同志の歌」に比する歌が池田名誉会長にあるとすれば、「人間革命の歌」をおいて他にない。
 ♪君も立て 我も立つ……
 作詞も作曲も、名誉会長による。最初の発表は昭和51年(76年)7月18日、学会本部での本部幹部会。会合中も別室で推敲が続いた。「命を込めて作った歌だけが友の命に入るのだ」と。
 終了後、2度、3度と手直しされ、最終の。確定版が発表されたのは翌19日、関西での女子部結成25周年総会である。
 伴奏に乗せて、友は高らかに歌った。全員が起立し、手拍子はせず、一点を見つめて。
 まさに、弟子が立ち上がっていく儀式の歌であった。
 ♪君も見よ 我も見る
 遥かな虹の 晴れやかな……
 誓願を込めて歌った歌詞そのままに、総会が終わるころ、空に七色の虹が懸かったという。
 坂口婦人部総合長(当時、女子部長)は語る。「宗門事件の烈風の中、先生は次々と学会歌を作られました。歌で学会精神を打ち込んでくださいました。それは、『人間革命の歌』から始まったのだと思います」
 半月後の8月5日には「母」の曲が発表。昭和53年(78年)には、「常勝の空」をはじめ、実に30におよぶ曲が、名誉会長の手で生まれている。
 昭和54年(79年)の会長辞任後、「学会はどうなってしまうのか」という不安と悔しさの中で、我らは学会歌を歌いながら、再び「先生と戦える」日を信じ、耐え、勝ったのである。
 その勝利の一つの象徴が、昭和56年(81年)11月22日の第3回関西総会であった。
 「常勝の空」の大合唱が終わるや、名誉会長が立ち上がった。「私がやりましょう!」
 威風堂々たる「嗚呼黎明は近づけり」の指揮。久しぶりに見る王者の舞に、友の目は涙でかすんだ。
夜明けが来た!”“ああ、また先生と一緒に戦えるんや──あの日の震えるような感激、反転攻勢の意気は、今も関西に燃え盛っている。
 学会歌と共に刻まれた、名誉会長との「栄光の日々」。その大長征は、これからも朗らかに続く。「次の50年」へ、いな、未来永劫に続いていくのだ!