小説「新・人間革命」  2010年 5月8日  勇気31

 山本伸一の師子奮迅の指揮によって、大阪の同志は、一騎当千の師子となって立った。暗夜のような状況に、希望の光が差し、時々刻々と明るさを増していった。
 しかし、選挙戦の終盤、候補者の名前を書いた バコを配るなどの、選挙違反事件が大々的に報じられた。学会の推している候補者の陣営によるものとの噂が流れた。
 公明選挙を訴え続けてきた伸一には、寝耳に水の出来事であった。悪質な選挙妨害ではないかとさえ思った。
しかし、なんと、それは、東京から英雄気取りで乗り込んで来た、心ない会員が引き起こした事件であることが、やがて明らかになるのだ。
 この違反事件が、勝利を決するうえでの大きな障害となった。結果は敗北に終わった。
 補欠選挙から二カ月余が過ぎた七月三日、伸一は、この選挙違反について事情聴取を求められ、自ら大阪府警察本部に出頭した。
そして、違反は彼の指示であるとの事実無根の容疑がかけられ、逮捕されたのである。
 勾留は十五日間に及んだ。過酷な取り調べが続いた。容疑を認めない伸一に対し、検察は、罪を認めなければ、「会長の戸田城聖を逮捕する」などと言いだしたのだ。
 一九五七年(昭和三十二年)の七月といえば、恩師が逝去する九カ月前のことである。戸田の衰弱は、既に激しかった。逮捕は、死にもつながりかねない。
 独房での苦悶の末に、伸一は、容疑を認め、裁判の場で真実を明らかにすることを決意したのである。
 庶民が目覚め、聡明になり、力をもち、改革に立ち上がることを、権力は恐れ、嫌悪する。そこには、権力を持つ者の、庶民を蔑視し、排斥しようとする驕りがある。それこそが、権力の魔性である。
 権力を握る人間の目には、会員七十五万世帯の達成をめざし、大躍進を続ける創価学会を放置しておけば、近い将来、自分たちの存在さえも脅かす、大きな力となるにちがいないと、映っていたのであろう。