小説「新・人間革命」 5月 10日 勇気32

ひとたびは一身に罪を被り、法廷で正義を証明しようと決意した山本伸一が、大阪拘置所を出たのが、一九五七年(昭和三十二年)の七月十七日であった。若師子は、民衆の大地に、再び放たれたのだ。
 この日の夕刻、中之島大阪市中央公会堂で、大阪大会が行われた。大阪をはじめ、各地から駆けつけた同志で、場内はもとより、場外も、人、人、人であふれた。
それは、伸一の不当逮捕への憤怒と、権力の魔性を打ち砕き、断じて創価の正義を証明せんとする、関西の決起の日となったのである。
 午後六時、開会が宣言された。やがて、にわかに空が暗くなり、雨が落ち始めた。
 そして、瞬く間に激しい豪雨となり、横なぐりの風が吹き荒れた。稲妻が黒雲を引き裂き、雷鳴が轟いた。
 多くの同志が、今日まで獄舎に囚われていた伸一の姿を思い、学会への非道な仕打ちに、諸天も激怒しているのだと感じた。
 場外で、激しい豪雨にさらされながらも、帰ろうとする人は、一人もいなかった。
 雨に打たれながら、特設されたスピーカーから流れる、登壇者の声を聴き取ろうと、皆、必死に耳を澄ましていた。
 豪雨のなかに、スピーカーから、雷鳴をしのぐ、大歓声と大拍手が響いた。
 山本伸一の登壇である。師子吼が轟いた。
 「最後は、信心しきった者が、大御本尊様を受持しきった者が、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか」
 その叫びが、皆の心に突き刺さった。場外の人びとは、どの顔も、雨と涙でぐしゃぐしゃであった。
 この山本室長が、無実の罪で牢屋につながれ、手錠をかけられ、辛い、惨めな目にあわされてきたんや。権力なんかに、負けられへん。負けたらあかん! 戦いは、絶対に勝たなあかん!
 伸一と共に、創価の勝利を涙で誓った、この日が、「常勝関西」の不敗の原点となったのである。