小説「新・人間革命」 母の詩 12 10月15日
石上雅雄が、少年野球の監督について、学会の会合に行くと、見知らぬ、おじさんやおばさんが、本当の子どもや孫のように、温かく声をかけてくれた。
彼は、学会が好きになった。自分から、進んで座談会にも参加した。そのたびに皆が、「よく来たね。しっかり勉強して、偉くなるんだよ」と励ましてくれる。
石上は、日本人に心を開くことは、ほとんどなかった。父親が韓国人であることから、幾度となく、蔑むような、冷たい視線を浴びせられた。ひどい仕打ちを受けもした。
しかし、学会員と接するなかで、初めて人間の心の温もりに触れた気がした。
“こんなにも温かい世界があったのか!”
「学会はすごい」という石上の話を聞き、彼よりも先に、母が入会した。そして、半年後、彼を含め、家族全員が学会員となった。
石上は、高校時代には、在日韓国人の学生野球チームのメンバーに選ばれ、親善試合のため、約四十日間、初めて韓国を訪れた。父親の故郷を見たいという、強い思いがあった。期待に胸躍らせての旅であった。
しかし、韓国語もできず、母親が日本人で、“在日”である彼は、韓国の人たちとも、何か、埋めることのできない、深い溝を感じた。
“結局、ぼくは、日本人でも、韓国人でもないんだ。自分は、いったい何者なんだ! どこの国の人間として生きればいいんだ!”
自分という存在への、根本的な疑問が芽生え始めた。
高校を卒業した彼は、薬科大学に進んだ。学生部員として、学会活動に励んでいても、どこか、心の奥に、悶々とした思いが消えなかった。
“もし、山本先生にお会いできたら、自分の悩みを聞いていただき、指導を受けたい”
彼は、そう思い続けてきた。