小説「新・人間革命」 母の詩 13 10月16日
石上雅雄が大学三年の、一九六九年(昭和四十四年)春三月のことであった。彼は、東京・信濃町の学会本部を訪れる機会があった。
そこで、会長の山本伸一に出会ったのだ。
「先生、お伺いしたいことがあります!」
石上は、この時とばかりに、自分の胸の内を語り始めた。そして、日本人として生きるべきか、韓国人として生きるべきか、悩んでいることを語ったのである。
伸一は、何度も頷きながら、石上の話を聞いていた。話が終わると、じっと、石上の顔を見つめた。
「そうか、大変だったんだな……」
こう言うと、力強い声で言葉をついだ。
「君は、地球人として生きなさい。日本人であるとか、韓国人であるとか、悩む必要はないよ。地球人でいいじゃないか! 広々とした心で生きるんだ。
そして、生涯、学会から離れずに、人びとのために生きていくんです。そこに、本当の幸福への道があるよ」
石上は、ハッとした。自分の小さな境涯が打ち破られた思いがした。
そう思うと、勇気がわいた。
それから六年後の一九七五年(昭和五十年)一月、SGI(創価学会インタナショナル)が結成された、グアムでの第一回「世界平和会議」で、伸一が署名簿の国籍欄に「世界」と記入したことを、石上は知った。
彼は、この時、心中深く、そう伸一に誓ったのである。
――東京文化祭の練習で、石上が、円塔から落下したメンバーを、身を挺して守ったのは、その誓いの発露であったのである。