第36回】 広布先駆の誉れ 栃木 2010-10-16

いざや立て 勝ちまくれ
 
 「今日の文化祭の演技は満点です!」
 昭和60年(1985年)8月18日、池田名誉会長を迎えて行われた第1回栃木青年平和文化祭。4000人の若人の凱歌が、会場の栃木県体育館に轟いた。
 当初、11月の開催で準備が進んでいた。しかし、この年の5月、さまざまな事情を考慮した結果、8月の開催に変更となった。
 本番まで3カ月。本当にできるのか……。
 5月21日。東北指導から帰京する名誉会長を乗せた新幹線が、宇都宮駅に停車した。ホームには、栃木の代表がいた。新幹線が東京に向かって再び動き出した時である。名誉会長は車窓に指を当てて、「8」という数字を大きく描いた。
 「8月の文化祭に行くよとのメッセージと受け止め、腹を決めました。絶対に文化祭を大成功させるのだ、と」(当時の青年部リーダー)
 青年部を中心とする、各部一体の準備が始まった。出演者は練習に次ぐ練習。衣装の作製、舞台作りなどが急ピッチで進んだ。
 迎えた文化祭の当日。
 ワイシャツの袖をまくり汗だくになりながら、熱演を讃える名誉会長がいた。
 来賓は目を見張った。
 「若い皆さま方を、いつも励ましておられる池田名誉会長に、私は心から拍手を送りたいと思います」
 文化祭は堂々と宣言したのだ。師と弟子の「心のギア」が噛み合えば、破れない壁などない!と。
 青年たちは今、栃木広布の中核として活躍する。
 文化祭の後、名誉会長は那須町の栃木研修道場へ。満天の星のもと、敷地内にある、世界で一つの「座談会の碑」の前に立った。
 「学会再建と発展の軌道は この座談会の地道な そして粘り強い開催をもって描かれた」(碑文から)
 ――昭和21年(46年)の9月。戸田第2代会長は、那須郡の両郷村(当時)を訪れた。地域の友を交えての法華経大講演会に続いて益子千代治さん宅での座談会に出席。この席で、入会希望者が誕生した。
 広布史に燦然と輝く、この「戦後初の地方指導」のきっかけは女子部員だった。
 戦争で郷里の村に疎開していた彼女は弘教を始めたが、だれも聞く耳を持たない。そこで8月に上京し、戸田会長に指導を求めた。この時に来訪は決まった。
 文化祭の2日後、名誉会長を囲んでの懇談会が栃木研修道場で開かれた。
 郷土の発展を願うメンバーの質問に答え、こう指導している。「私は学会員を守ることに徹してきた。あなた自身が、だれよりも祈り、戦うのです。友のもとへ足を運ぶのです!」
 
 栃木は、名誉会長の「地方折伏の初陣の地」。
 また、現在の大学校の前身である「人材学校」を初めて設置したのも、「聖教新聞の拡大」の波を全国に起こしたのも栃木である。
 広宣流布の新しい道は、栃木から始まった。この先駆の誉れは、栄光の創立80周年を迎えた学会の歴史に永遠に刻まれている。
 名誉会長は詠んだ。
 
 勝ちまくれ  いざや立ちゆき  勝ちまくれ  栃木の広布は  断じて勝利で