小説「新・人間革命」 母の詩 21 10月26日

山本伸一は、さらに力を込めて訴えた。
 「今こそ、人類は、『人間』という原点に返り、政治優先主義、経済優先主義から、人間性の発露である、文化の復興を優先しなければなりません。
全人類は、人間文化の復興を希求しています。戦争という武力の対極に立つのが文化であり、文化、芸術は、生命の歓喜の発露であると、私は考えております」
 伸一は、その人間文化の一つの結実が、この文化祭であると語った。
 「音楽隊、鼓笛隊の演奏あり、合唱あり、日本舞踊あり、リズムダンスあり……。しかも、皆、素人でありながら、実に美事な、華麗、勇壮の演技の数々が展開されました。
 ここには、舞台も客席も一体になっての、感動の共有がありました。友情のドラマがありました。人間の連帯がありました。
 こうした民衆文化の運動が、日本のみならず、全世界に広がっていくならば、人と人の心は結ばれ、新たなルネサンスの夜明けが訪れると、確信いたします。
この文化祭に象徴される大文化運動が、広宣流布という人間復興の運動なのであります」
 午後六時過ぎ、〓東京文化祭は、感動のなかに幕を閉じた。
 出演者や役員の、どの顔も限りなく生き生きとし、美しかった。戦い抜いた生命の充実と躍動は、至極の表情をつくり上げる。
 伸一は、文化祭の終了後も、来賓との懇談や見送りが続き、一段落したのは、午後八時前であった。母のいる東京・大田区の実家に向かおうとした時、母の容体が急変したとの連絡が入った。
 彼は、夜空を仰いだ。今日一日の彼の戦いを、母が見守っていてくれたような気がした。
 車の中で、伸一は、母を案じて唱題した。
 彼が実家に着いたのは、午後九時過ぎであった。
 幸いなことに、まだ、母の意識はあった。家族から、「もうじき伸一が来るからね」と言われ、母は、遠のく意識と、懸命に闘って待っていたのかもしれない。