小説「新・人間革命」 母の詩 23 10月28日

潮の干満の時刻によって異なるが、海苔を採取するには、午前二時か三時には起床し、朝食をとってから仕事を始める。その食事のしたくをするために、母の幸は、皆より早く、午前一時か二時には起きねばならない。
 朝食の後片付けを手早くすませ、母は海苔採りに出る。冬の海、日の出前の作業は、寒さとの戦いである。母の手は、アカギレだらけであったことを、山本伸一は覚えている。
 彼も、幼少期から家業を手伝った。
 採った海苔は、早く干し上げなければならない。母は、休息の時間など、全く取れなかったようだ。風邪をひいても、休もうとはしなかった。
 子どもたちは、気づかなかったが、後年、母は、こう語っていた。
 「昼ご飯など、食べる暇はなかったよ」
 幼いころから、母は、よく伸一に、二つのことを言って聞かせた。
 「他人に迷惑をかけてはいけません」
 「嘘をついてはいけません」
 そして、伸一が少年期に入ったころから、「自分で決意したことは、責任をもってやりとげなさい」という言葉が加わった。
 伸一は、平凡ではあるが、人間として最も大切なことを、母から教わったと、深く感謝している。
 やがて、時代は、戦争の泥沼へと突入していく。働き手である四人の兄たちが、次々と兵隊にとられ、一家の暮らしは窮乏していった。
 しかし、母は、「うちは貧乏の横綱だ」と笑い飛ばしながら、わずかな菜園で野菜を育て、懸命に働いた。
 「母の気概に恐れの入り込む余地はない」(注)とは、哲人セネカの言葉である。
 兄たちが兵隊にとられてから、伸一は一家を守り支えねばならなかった。しかし、その彼が、結核にかかってしまった。
 それでも、病と闘いながら、軍需工場に通った。母は、そんな彼を心配し、食糧が満足にないなか、卵など、少しでも栄養価の高いものを、用意してくれた。