小説「新・人間革命」 母の詩 24 10月29日

山本伸一の、母の思い出は尽きなかった。
 終戦の年となる一九四五年(昭和二十年)の春のことであった。それまで住んでいた蒲田区糀谷(当時)にあった家が、空襲による類焼を防ぐために取り壊しが決まり、強制疎開させられることになった。
 やむなく近くの親戚の家の敷地に、一棟を建て、越すことにした。家具も運び、いよいよ、皆で暮らすことになった五月、空襲があった。その家も、焼夷弾にやられ、全焼してしまったのである。
 伸一と弟が、やっとの思いで、火のなかから、一つの長持ちを運び出した。しかし、そこに入っていたのは、雛人形と一本のコウモリ傘であった。
 落胆して、言葉も出なかった。
 その時、母は、快活に言った。
 「このお雛様が飾れるような家に、また、きっと住めるようになるよ……」
 この言葉に、皆、どれだけ元気づけられたことか。
 「明るい性格は、財産よりももっと尊いものである」(注)とは、アメリカの実業家カーネギーの洞察である。
 そのころ、こんな出来事があった。
 やはり、空襲を受けた時のことだ。夜が明け始めた空に、一つの落下傘が見えた。高射砲で撃墜された、「B29」から脱出した米軍の兵士であろう。
 落下傘は、見る見る地上に近づき、伸一の頭上を通り過ぎていった。
 彼は、その米兵の顔を、しっかりと見た。二十歳を過ぎたばかりだろうか。
 十七歳の自分と、それほど年齢も違わない、若い米兵の姿に、伸一は、少なからず衝撃を覚えた。
 「鬼畜米英」と教えられ続けてきたが、目の当たりにしたのは、決して「鬼畜」などではなかった。色の白い、まだ、少年の面影の残る若者であった。
 伸一は、この米兵のことが、気がかりでならなかった。
 
■引用文献:  注 「富と福音――カーネギー自伝」(『世界の人間像5』所収)坂西志保訳、角川書店