小説「新・人間革命」 母の詩 25 10月30日

山本伸一は、落下傘で降りてきた米軍の若い兵士がどうなったか、大人たちに聞いた。
 ――米兵の青年は、集まって来た人びとに、棒でさんざん殴られたあと、やって来た憲兵に目隠しをされて、連行されたとのことであった。
 伸一は、敵兵とはいえ、胸が痛んだ。
 家に帰り、その話を、母の幸に伝えた。母は、顔を曇らせ、悲しい目をして言った。
 「かわいそうに! 怪我をしていなければいいけど。その人のお母さんは、どんなに心配していることだろう……」
 母の口から、真っ先に出たのは、若い米兵の身を案ずる言葉であった。
 米英への憎悪を煽り立てられ、婦人たちも竹槍訓練に明け暮れていた時代である。しかし、四人の息子の生還を願い、心を痛めていた母は、米兵の母親に、自分を重ね合わせていたのであろう。
 わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。
それは、人間愛と平和の原点である。その母の心に立ち返る時、どんなに複雑な背景をもち、もつれた国家間の戦争の糸も、必ず解きほぐす手がかりが生まれよう。
 伸一は、母から、気づかぬうちに、人間そのものに眼を向けて、平和を考える視点を教えられていたのかもしれない。
 戦後、伸一は、東京・神田の三崎町にある東洋商業(現在の東洋高校)の夜間部に学んだ。彼が授業を終えて、自宅に戻るのは、いつも午後十時前後であった。
 朝の早い伸一の家は、夜は、皆、早く床に就いた。
 しかし、母親だけは、いつも起きて待っていてくれた。物資不足の時代が続いていたが、ウドンやスイトン、ふかした芋などが用意されていた。
そして、彼の健康を気遣い、決まって、「大変だったね」と、優しい言葉をかけてくれるのである。
 その一言に、伸一は、母の限りない愛を感じ、どれほど癒やされたか、計り知れない。