小説「新・人間革命」 厳護 27 1月11日

山本伸一は、言葉をついだ。
 「『白蓮グループ』は、学会のであり、創価です。
 若い女性たちが、広宣流布という目的のため、会員のために、献身してくださる姿は、まことに尊いし、崇高です。
 その努力、苦労は、すべて自分を荘厳していく、偉大なる功徳、福運となります。これが、厳然たる、仏法の因果の理法です。
 したがって、私は、仏法者として、厳然とわが道を行くという心意気が大事です。
 人が、どう評価してくれるか、周りが、どう見ているかで行動するのではなく、仏法の法理のもと、自分の信念で生きていく以外に、本当の幸福の道はないからです」
 伸一は、「冥の照覧」を心から確信できる、一人ひとりになってほしかった。
 仏法では、「因果応報」を説いている。悪因には必ず苦果が、善因には必ず楽果が生じることをいう。しかも、その因果律は、過去世、現在世、未来世の、三世にわたって貫かれている。
過去における自身の、身(身体)、口(言葉)、意(心)の行為が因となって、現在の果があり、現在の行為が因となって、未来の果をつくるのである。
 日蓮大聖人が「我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん」(御書九六〇ページ)と仰せのように、すべては自分に還るのだ。悪果も善果も、一切は自身の行為のゆえである。
 そして、自分のつくった悪しき宿業を転換し、最高の善果をもたらす道が、正法を信受し、広宣流布に生き抜くことなのである。ここに、確固不動なる幸福の大道があるのだ。
 この生命の因果の理法、言い換えれば、「冥の照覧」を確信して、仏道修行に励むことこそ、仏法者の生き方の基本なのだ。
 「牙城会」「創価班」「白蓮グループ」などの尊き姿には、その精神がみなぎっている。
 仏は、常に、じっと見ている。
 敢闘の歴史は、わが生命に刻まれ、栄光の朝を開く力となる。苦闘の険路は、勝利の山頂に至る黄金の道だ。