小説「新・人間革命」 厳護 28 1月12日

自ら労せず、楽をして、利益や地位、立場、栄誉などを手に入れることができれば、どんなに幸せかと考える人は少なくない。そのために、富や権力をもつ人に媚びへつらって生きる人もいる。
要領主義で、うまく人生を泳ぎ渡ろうという人もいる。
 また、立身出世を遂げた人を羨み、嫉妬したり、時には、謀略を駆使してまで、他人を蹴落とそうとする人もいる。
 そうした生き方の背景には、自分の外の世界に、幸せがあるとの迷妄がある。
 日蓮大聖人は、「若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」(御書三八三ページ)と仰せである。
 自分の心の外に、成仏、幸福の道を求めて、万の修行、万の善行をしたとしても、何も得られない。困窮している人が、日夜、隣の財産を数えているようなものだ――と言われているのだ。
 幸せの道、一生成仏の道は、根本的には、わが心を磨き抜き、仏、菩薩の生命を涌現していく以外にない。大山のごとき堂々たる、不動の自己を築き上げるのだ。
 さらに大聖人は、「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(同三八四ページ)と仰せだ。
 唱題こそが、一生成仏への道なのだ。つまり、自行化他にわたる題目の実践である。自ら唱題に励むとともに、広宣流布に生き抜くことだ。どれだけ、真剣に唱題してきたのか”“仏法のために何をしてきたのか
――崩れざる幸福境涯を確立できるかどうかは、すべては、そこにかかっている。
 他人の目は欺くことができても、仏の眼は絶対に欺くことはできない。
 広宣流布のために祈り、尽くし、苦労した分だけが自身を荘厳するのだ。仏法の因果の理法の眼から見る時、真剣であること、勤勉であること、誠実であることに勝る勝利の道など、断じてないのである。