小説「新・人間革命」 厳護 29 1月13日

一九七七年(昭和五十二年)「教学の年」の本格的な回転は、一月六日、木曜日夜の、第一回創価班総会から始まった。
 寒風のなか、東京・信濃町の学会本部に集って来た青年たちの顔は紅潮し、その瞳は、凛々しく輝いていた。
 午後六時半、会場の創価文化会館の五階大広間は、「創価班」のブルーの制服に埋まり、やがて開会が宣言された。
 山本伸一は、この日、夕刻から、東京・港区内での打ち合わせが入っていた。それを、早々に切り上げ、急いで会場に向かったのである。
 彼は、この「創価班」の集いには、理事長をはじめ、数人の副会長にも出席するよう声をかけていた。青年たちの新しい船出を、学会をあげて祝福したいと考えたからだ。
 「創価班」をはじめ、「牙城会」「白蓮グループ」、さらには、無冠の友である聖教新聞の配達員など、陰の力として奮闘している人たちこそ、最も賞讃すべき方々であるというのが、伸一の信念であった。
 仕事を切り上げ、必死に駆けつけ、寒風に吹かれながら、屋外の駐車場で整理に当たる「創価班」がいる。
会館を守り抜こうと、深夜まで警備に就く「牙城会」がいる。会合の参加者を笑顔で包み、迎える「白蓮グループ」がいる――皆、それぞれに日々の課題と悪戦苦闘しながらの尊き使命の遂行である。
 伸一は、その青年たちに、菩薩の振る舞いを見、仏の慈悲の心を感じるのだ。
 ゆえに、この創価班総会には、多くの最高幹部が出席し、心から感謝の言葉を述べ、讃え、励ますべきであると思ったのである。
 午後七時五十分、伸一が姿を現すと、怒濤を思わせる大拍手が起こった。
 「本日は、諸君と共に、この学会本部から新しい出発をしたくて、駆けつけてまいりました。第一回の総会を、このように晴れやかに開催できましたことを、心からお喜び申し上げます。まことにおめでとうございます」
 広布の英雄への祝福から、話は始まった。