小説「新・人間革命」 厳護34  1月19日

 「輸送班」の人材育成のなかで、最も驚嘆すべきは、何よりも、一人ひとりの、強い責任感を育んできたことである。
 輸送班員は、任務に就く何日も前から、真剣に登山会の無事故と大成功を祈念し、唱題した。登山会の日が、好天に恵まれず、激しい雨などになると、皆、自分の問題としてとらえた。
そして、次回は、断じて、晴天の登山会にしようと、さらに、真剣な祈りを捧げるのである。
 天気は自然現象であり、不可抗力と考えるのが普通である。もし、荒れた天気になったとしても、「輸送班」の責任ではない。
 しかし、彼らは、「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書一一八七ページ)との御金言を、深く心に刻んでいた。
 「教主釈尊」とは、ここでは大宇宙の一切の根源を指し、御本尊を意味している。その御本尊に真剣に祈りを捧げるならば、万物が動くのだとの仰せである。
 また、御書には、「一身一念法界に遍し」(二四七ページ)とある。われらの一念は、大宇宙を遍く包むのである。
 「輸送班」の青年たちは、仏法の法理に照らすならば、祈りの一念は、天候にも影響をもたらすとの確信のうえから、すべて自分たちの問題ととらえていたのである。
そして、激しい雨になった場合には、“一人も、風邪など、ひかせるものか!”と、自らは、ずぶ濡れになりながらも、細心の注意を払って、任務の遂行にあたったのである。
 まさに、それは、山本伸一の生き方にほかならなかった。彼は、会長就任以来、「自然災害がないように」「豊作であるように」、さらに「登山会が無事故で終わるように」と懸命に祈り続けてきたのである。
この一念の結合が、師弟である。
 伸一は、以前から、「輸送班」が自分と同じ心で、大宇宙をも動かしゆこうとの気迫で唱題し、会員を守ろうとしてくれていることに、深く、深く感謝してきた。