小説「新・人間革命」 厳護 36 1月21日

この一九七七年(昭和五十二年)「教学の年」は、例年にも増して、仏法研鑽の息吹に満ちあふれた年であった。
 「教学の年」の開幕を前に、早くも前年十二月には、任用試験が行われていた。
 そして、年が明けた一月九日には、全国各地で教学部の中級登用筆記試験が実施され、助教授、助教授補のメンバー四十五万人が受験したのである。
 一月二十三日、中級登用筆記試験の合格者を対象に、面接試験が行われた。その日、大阪にいた山本伸一も、関西センターでの面接試験の試験官を務めた。また、試験の前後には、受験者らを激励した。
 さらに、二月六日には、全国各地で一斉に初級登用試験が行われ、講師、助師のメンバー、四十三万三千人が受験している。
 また、一月末から二月中旬にかけては、教授認定試験も行われた。その日時、方法は、方面、県によって異なり、筆記試験、面接試験、論文審査のいずれかの方法で、実施されることになっていた。
この教授認定試験の審査委員会の委員長には、山本伸一自らが就いていたのである。
 教授の多くは、自身も教授認定試験の勉強に励みながら、任用や中級、初級試験の学習会を担当したのだ。皆、多忙を極めたが、活気に満ちあふれ、はつらつとしていた。
 試験の学習会を担当するなかで、受験するメンバーが、日々、仏法への確信を深め、歓喜に燃え、着実に成長を重ねていくのを、実感していたからだ。
 教学を教えることは、信心を教えることであり、人材を育成することである。
 そして、仏法の法理を、懸命に、懇切丁寧に語り説いていくなかで、自然に、自身の生命もまた歓喜し、躍動してくるのである。
 大聖人は、「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書一一二一ページ)と仰せである。ゆえに、共に御書を拝し、仏法を語る時、仏の大生命を涌現させることができるのである。