小説「新・人間革命」 厳護 37 1月22日

一九七七年(昭和五十二年)の大教学運動の原動力となったのは、聖教新聞の元日付から四回にわたって掲載された、山本伸一の「諸法実相抄」講義であった。
 伸一は、この講義の冒頭、鳩摩羅什の話を通し、創価学会がめざす教学運動について、語っていった。
 鳩摩羅什は、亀茲国に生まれ、七歳で仏教を学び始め、不朽の名訳「妙法蓮華経」などを翻訳した訳経者である。
彼が仏法の真髄を伝えようと、長安(現在の西安)で、仏典の翻訳作業に従事したのは、五十歳過ぎであった。
 以来、逝去までの八年とも、十二年ともいわれる間、すさまじいまでの勢いで翻訳作業を重ねていく。それは、一カ月に二巻、乃至三巻という、驚異的なペースであった。
 彼のもとには、名声を聞いて、俊英が、続々と集まって来ていた。その数は、時には八百人、時には二千人ともいわれた。羅什は、その聴衆を前に、教典を手にして、講義形式で翻訳を進めていったのである。
 なぜ、そう訳すのか、その経文の元意はどこにあるのかを話し、時には、質疑応答のようなかたちを取りながら、納得のいくまで解読していった。
 羅什の翻訳は、一人で書斎にこもり、辞書と首っ引きで、難解な用語を連ねていくような翻訳作業ではなかった。
大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場で仏法を展開し、訳出していったのだ。そのなかから、彼の、極めて滑らかで、経文の元意をふまえた、優れた意訳が生まれたのである。
 伸一は、そうした羅什の翻訳の様子を紹介し、力強く宣言したのである。
 「人びとと語り、生活のなかでの実践を通し、思想の光は輝いていくものであります。
 私どもの教学運動も、羅什と同じ方程式に則り、御書という教典を手にし、ある時は講義形式を取り、ある時は、質疑応答の形式を取り、ある時は、個人指導の際に、人びとの呼吸を、直接、実感しながら、対話の場で仏法を展開していくのであります」
 
■語句の解説
 
◎亀茲国 :  中国の天山山脈の南麓に位置するオアシス都市として、漢代から唐代にかけて栄えた国。現在の新疆ウイグル自治区の西部クチャ地方にあった。