小説「新・人間革命」 厳護 38 1月24日

山本伸一は、釈尊が、いかにして法を説いていったかにも言及した。
 「釈尊の八万法蔵という膨大な教説を、天台は、『五時八教』に判別しています。そう聞くと、精密に体系立てられた教理を思い浮かべ、釈尊も、そのカリキュラムに沿って説法したかのように受け取りがちであります。
 しかし、釈尊の説法は、貧苦にあえぐ庶民への激励であり、病に苦しむ老婦人を背に負わんがばかりの同苦の言葉であり、精神の悩みの深淵に沈む青年への、温かな励ましの教えでありました。
 差別に悩み、カースト制度に苦しむ大衆の側に立った、火のような言々句々が、その一生の教化を終えてみれば、八万法蔵として残ったということでありましょう。
それは、経文が徹底して問答形式で説かれていることに、象徴的に表れています。
 いわば、庶民との対話、行動のなかで、ほとばしり出た釈尊の悟りの法門が、経典としてまとめられていったのであります」
 伸一は、日蓮大聖人の膨大な御書もまた、同様であると語った。
 「御書は、大聖人が、激動の日々のなかで、民衆一人ひとりとの対話を続けられ、朝に夕に、救済の手を差し伸べられた結晶であります。戦いながら書き、語り、書き、語られながら、戦われたのであります。
 仏教と聞けば、山野にこもり、静的なものと考えられがちでありますが、その発生から、既に実践のなかに生き、民衆のなかで生き生きと語り継がれてきたのが、その正統な流れであることに、私は刮目したいのであります」
 仏法は、一切衆生を、なかんずく苦悩にあえぐ民衆を、救わんがための教えである。
 ゆえに教学は、民衆の日々の生活に根差し、行動の規範となっていかねばならない。そして、人生の確信、信念となり、困難や試練を克服する力となってこそ、生きた教学といえるのである。
それを現実に成し遂げてきたのが、創価の教学運動である。
 
■語句の解説
◎五時八教 釈尊一代の教えを、天台大師が判釈して、五時と八教に立て分けたもの。五時とは、華厳時・阿含時(または鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。八教とは、頓・漸・秘密・不定の化儀の四教、蔵・通・別・円の化法の四教をいう。