小説「新・人間革命」 厳護 40 1月26日

この一九七七年(昭和五十二年)を、創価学会が「教学の年」と定めたのは、山本伸一の提案によるものであった。
広宣流布の新章節を迎えた学会が、さらに大飛躍を期すためには、これまで以上に、全同志が、御書を心肝に染めなければならないと考えたからだ。
 人間とは何か。生命とは何か。自己自身とはいかなる存在なのか。なんのための人生なのか。幸福とは何か。生とは何か。死とは何か――仏法は、そのすべての、根本的な解答を示した生命の哲理である。
 したがって、仏法を学び、教学の研鑽を重ねることは、人生の意味を掘り下げ、豊饒なる精神の宝庫の扉を開く作業といってよい。
 日蓮大聖人は、「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず」(御書一三六一ページ)と仰せである。
 信仰の実践とともに、教学を学んでいかなければ、仏法の本義を深く理解し、信心を究めていくことはできないからだ。
 第二代会長・戸田城聖も、こう訴えている。
 「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」「教学により信心が強くなり、高まるから、功徳がでる」と。
 大聖人は、「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(同一〇二五ページ)との経文を引かれて、仏法者の在り方を指導されている。その「心の師」となるべき、仏法の法理を学ぶのが教学である。
 教学は、自分の生き方、振る舞いが、仏法者として、正しいのかどうかを見極める尺度であり、自己を映し出す明鏡となるのだ。
 また、教学は、仏道修行を妨げる三障四魔や諸難に翻弄されることなく、一生成仏、広宣流布へと至る航路を照らす灯台となる。
 さらに、一切衆生に仏の生命が具わっていることや、三世にわたる生命の因果の理法を学ぶことは、人間の根本的なモラル、道徳の規範を確立していくことでもある。
 創価学会の人間革命運動を推進していくには、教学が不可欠であるというのが、伸一の思索に思索を重ねた結論であったのである。
 
■語句の解説
 
◎三障四魔
 信心修行を阻み、成仏を妨げる三種の障り(煩悩障、業障、報障)と、四種の魔(煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔)のことをいう。