小説「新・人間革命」 人間教育5 2月21日

山本伸一は、最後に「愚痴」について語っていった。
 「大ブロック担当員は、学会活動の要となる方々です。ご苦労も多いことでしょう。しかし、せっかく頑張っても、愚痴ばかり言っていると、その福運を消してしまうし、功徳もありません。
卑近な例で言えば、風邪を治そうと薬を飲みながら、薄着をして、雨に打たれて歩いているようなものです」
 もともと、愚痴とは、愚かで、ものの道理がわからないことであり、「無明」を意味する言葉でもある。
 「ついつい愚痴を言ってしまう人もいるでしょうが、愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。
御聖訓にも、『わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる』(御書一四九二ページ)と仰せです。
 さらに、愚痴っぽい人というのは、自分では気づかぬうちに、全体の空気を重くし、人のやる気をも奪っていく。つまり、広宣流布への勢いを削ぎ、戦いの力を止めてしまっているんです。
 それでは、功徳どころか、罰を受ける結果になりかねない。だから、皆で、互いに戒め合っていくことが大事なんです。
 それに対して、勇んで行動する人は、見るからに、すがすがしいものです。人びとに触発をもたらし、やる気を引き出し、周囲の停滞した雰囲気を打ち破っていきます。
 大聖人が『ただ心こそ大切』(同一一九二ページ)と仰せのように、大事なことは、どういう一念で信心に励んでいくかです。
どうせ信心をするなら、愚痴を言いながらではなく、自ら勇んで、実践していかなければ損です。さっそうと、さわやかに、行動していこうではありませんか!」
 婦人部は、創価学会の太陽である。その婦人たちの、はつらつとした姿が、包容の微笑みが、幸の光線となって、暗く閉ざされた友の心に降り注いでいくのだ。