小説「新・人間革命」 人間教育39 4月1日

山本伸一は、本来、最も優先されるべきは「人間」であるにもかかわらず、戦前・戦中は「軍事」が、戦後は「経済」が優先されてきたことを指摘した。
そして、この順位を逆転させるには、教育という人間の育成作業から、突破口を開く以外にないと訴えた。
 また、教育は、「未来への対応」であり、伸一自身、それを人生の最終事業と決め、世界の各大学を訪問して対話を重ね、教育の在り方を探究してきたことを述べた。
そのなかで、パリ大学ソルボンヌ校を訪問した折、アルフォンス・デュプロン総長が、教育にとって何よりも大事なのは、よく聞くことであると語っていたことを紹介した。
 パリ大学は、ド・ゴール政権を揺さぶることになる、一九六八年(昭和四十三年)の「五月革命」の発火点となった大学である。それだけに、総長の言葉には重みがあった。
 伸一は、講演を続けた。
 「ここでいうよく聞くこととは、学生のなかにあるものを引き出していくという意味でもあります。つまり、言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていくということです。
今ほど、それが、教育界に必要な時はないと、私は申し上げたい」
 ――「われわれに舌はひとつだが耳は二つ与えてくれた。話すことの二倍、聞くためだ」(注)とは、古代ギリシャの哲学者で、ストア派哲学の祖ゼノンの箴言である。
 「よく聞くためには、教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のような慈愛の深みがあってこそ、可能となるのであります。
 あたかも容量の大きなバッテリーは、それだけ多量の充電ができるのと同じように、心に奥行きのある、しかも吸収力と方向性を無言のうちに示す、人格の輝きと力量をもった教師像が望まれているのであります。
 よき聞き手ということは、それ自体が、よき与え手となっていきます。そして、それには、常に、児童・生徒たちと共にいるとの姿勢が肝要なのであります」
 
■引用文献 注 ゼノンの言葉は、『初期ストア派断片集1』中川純男訳、京都大学学術出版会