小説「新・人間革命」 人間教育46 4月9日

北川敬美は、和子に、話し合おうと、何度も声をかけた。和子は、「まだ、お弁当を食べていないから」「掃除があるから」と、さまざまな理由をつけて、拒否し続けた。だが、とうとう話し合いにこぎ着けた。
 北川は、同情では、和子は変わらないと思った。彼女のために、皆が、触れないようにしている手の障がいのことも、あえて言おうと心に決めた。でも、
それは、人間関係に決定的な亀裂を生むかもしれない。自分の気持ちが、通じるように、ひたすら祈ってきた。
 語らいが始まった。北川は、和子の目を見すえ、意を決して語った。
 「あなたは、自分に都合の悪いことは、全部、その指のせいにしている。いつまで、その指に甘えるつもりなの! 世の中には、大病と闘っている人や、もっと大きなハンディのある人もいる。
でも、みんな懸命に生きているのよ。親を恨み、反抗し、他人に当たり散らしても、自分が惨めになるだけよ」
 初め、無視するように横を向いていた和子の顔色が変わっていった。唇を震わせて、膝の上に置いた手を、固く握りしめ、怒りを押し殺している様子であった。
 〝魂を揺さぶるつもりで、思いのたけを語り抜くのだ。中途半端では意味がない!〟
 北川は、自分を鼓舞して語り続けた。
 「たとえ、不自由でも、その手があったからこそ、今のあなたがあるんじゃない。あなたは、短い、その指を上手に使って、ノートを取り、箸を使っているじゃないの。心まで不自由になっては、いけないのよ。
 これからは、その手を堂々と人前に出して歩ける自分になろうよ。あなたは、今まで、辛い思いをし、悲しい思いをしてきた分だけ、それ以上に、人の何倍も幸せにならなくてはいけないのよ。
クラスのみんなに幸せになってほしいけど、特にあなたには、いちばん幸せになってもらいたいの……」
 和子の目から大粒の涙があふれ、幾筋も、頬を伝って流れ落ち、スカートを濡らした。
 外は、既に夕闇に包まれていた。
 
■引用文献  創価学会人間教育研究会編『体あたり先生奮戦記・第2集』学習研究社