小説「新・人間革命」 人間教育51 4月15日

山本伸一は、ここで話を転じて、キリスト教が、なぜ、普遍的な世界宗教として発展したのかを考察していった。
 「その一つの理由は、キリスト教は、民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求していったことにあるといえましょう」
 民族や国家、あるいは、そこに受け継がれている文化や風俗、習慣が、教義の普遍性よりも先行し、絶対視されるならば、その宗教は世界化することはない。民族宗教や国家の宗教などとして終わってしまう。
 日蓮大聖人が、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書一四六七ページ)と仰せになっているのも、その地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、仏法を弘むべきであるとのお考えの表明といってよい。
 日蓮仏法は、本来、万人の生命の尊厳を説く、人類のため、人間のための宗教である。決して、偏狭な日本教などであってはならない。したがって、日本の文化や風俗、習慣などに縛られる必要はないのである。
 日蓮仏法の教えの「核」となるのは、宇宙の根本法である南無妙法蓮華経を信受し、どこまでも、「御本尊根本」「題目第一」であるということである。
そして、共に地涌の菩薩として、広宣流布の使命に生き抜く師弟の、自覚と実践である。
 伸一は、言葉をついだ。
 「キリスト教が世界に広がった二つ目の理由は、病人や貧者、あるいは罪人など、社会の底辺であえぐ民衆のなかに飛び込み、民衆のなかで戦い抜いたことにあるといえます」
 最も深い苦悩を背負った、一個の人間と向き合い、救済の手を差し伸べることは、万人に幸せの道を開こうとすることだ。そして、蘇生した一人の感動は、大きな共感の輪を広げる。また、民衆は社会の大地である。
民衆に語り、民衆が納得し、その賛同と支持を得ることこそ、宗教興隆の確固不動の基盤となるのである。