小説「新・人間革命」 灯台 6 4月26日
社会部などが誕生した一九七三年(昭和四十八年)の十月度本部幹部会では、翌七四年(同四十九年)の学会のテーマを「社会の年」とし、仏法の法理を広く展開し、社会建設に取り組んでいくことが、満場一致で採択された。第四次中東戦争によって、石油価格は急上昇し、世界が不況の暗雲に覆われようとしていた時のことである。
経済危機をもたらすのが人間ならば、その克服の道も、人間によって開かれるはずだ。
伸一は、不況が予測される時だからこそ、社会部の同志は、信仰で培った力を発揮し、なんとしても、試練を乗り越えていってほしかった。
社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命であるからだ。
「生きた哲学は今日の問題に答えなければならぬ」(注)とは、インドの初代首相を務めた、ネルーの言葉である。
社会部の結成によって、各職場や職域ごとに、懇談会等も活発に開催されるようになり、励ましのネットワークは、大きく広がっていったのである。
七四年三月には、第一回社会部大会が、日大講堂で開催されている。
この時、伸一は、アメリカを訪問中であったが、祝福のメッセージを贈ったのだ。
「社会仏法、民衆仏法なるがゆえに、庶民がそれぞれの生活の場で、粘り強く改革運動を推進していくことこそ、仏法の本義であります。
したがって、職域社会、地域社会の最前線で戦う皆様の姿こそ、『社会の年』の前駆をなしているのであります。
どうか皆様一人ひとりが、人びとから好かれ、愛され、信頼されるリーダーとなってください。そして、未来にわたる広布の礎を、盤石なものとすべく、成長しゆかれんことを心から祈っております」