小説「新・人間革命」 灯台 7 4月27日

 山本伸一は、社会部のメンバーの激励に、常に心を砕き続けてきた。
 一九七四年(昭和四十九年)の十月上旬、聖教新聞の記者が、見出しの相談に来たことがあった。その紙面に、社会部のグループ長会が報道されるのを知ると、伸一は、自ら見出しの案を示した。
 「〝社会に根を張って初めて広布〟と」
 そして、こう語るのであった。
 「世間への執着を捨てて、仏門に入ることを『出世間』というが、人びとを救うために広宣流布をしていくには、さらに『出世間』を離れ、再び、世間という現実社会の真っただ中で、戦っていかなくてはならない。
つまり、『出出世間』だ。実は、そこに、本当の仏道修行があるんだ。だから、〝社会に根を張って初めて広布〟なんだよ」
 この年は、職場ごとのグループ座談会も定着し、また、ホテル、デパートなど、職種別の大会も行われていった。
 翌年の九月九日、伸一は、創価文化会館の地下一階集会室(地涌会館)で行われた社会部の合同グループ指導会に出席した。
 彼は、三日前に出た都内の人材育成グループの会合で、一人の女子部員から、この社会部の指導会に出席してほしいと要請されたのである。伸一は、即決した。
 〝苦労に、苦労を重ねながら、社会の第一線で活躍するメンバーの集いである。皆のために、自分にできることは、なんでもしてあげたい〟というのが、彼の思いであった。
 合同グループ指導会で伸一は、参加者と一緒に勤行したあと、懇談的に話を進めた。
 「世の中は、激動に激動を重ね、千変万化を遂げていますが、妙法だけは、信心だけは、何ものにも揺るがない、
幸福への直道であります。ゆえに、皆さんは、将来、どんな立場、いかなる状況になろうとも、妙法から、また、学会から、生涯、離れることなく、広宣流布の使命に生き抜いていただきたい。
そこにのみ、最高の幸福境涯の確立があるからであります」