小説「新・人間革命」 薫風 15 2012年 2月15日

池上兄弟の父・左衛門大夫康光によって、兄の右衛門大夫宗仲が勘当されたということは、弟の兵衛志宗長にとっては、家督相続のチャンスが巡ってきたことになる。
鎌倉時代武家社会にあって、勘当は、家督相続権を失い、経済的基盤も、社会的な立場も失うことを意味していた。
つまり、この勘当には、団結して信心に励む兄弟を、仲たがいさせようという狙いがあったのである。
弟の宗長に動揺が生まれた。それを感じ取った大聖人は、二度目の勘当に際し、宗長に、「あなたは、今度は退転するでしょう」と言われ、あえて、こう指導されている。
――百に一つ、千に一つでも、日蓮の教えを信じようと思うならば、親に向かって、兄と共に、信心を貫くと言い切りなさい。
また、兄弟に、「一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か」(御書一〇八五ページ)とも言われている。
大聖人の仏法は、自分自身が一生成仏できるだけでなく、親をも成仏させることができる大法である。
その正法を親が「捨てよ」と言う時には、親に随わないことが、孝養の根本となるのである。
また、「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり」(同一五二八ページ)との御指導もある。
信心に励むこと自体が、最高の親孝行になるのだ。さらに、この御文は、信心をした人は、親孝行を疎かにしてはならないと拝することもできよう。
父母への孝養、報恩を尽くすのが仏法者の道なのである。
大聖人は、出家の目的を「必ず父母を・すくはんがためなり」(同一九二ページ)とお述べになっている。
親孝行、親への報恩の最高の道は、一生成仏を約束する妙法を教えることにあるのだ。
九州歯科大学の三人の学生部員は、親の反対に屈せず、真剣に信心に励んでいった。
「闘い抜く価値のあるもので、障害のないものがこの世にありうるだろうか」(注)とは、近代医学の父ウィリアム・オスラーの信念の言葉である。
 
■引用文献
 
注 『平静の心―オスラー博士講演集』日野原重明・仁木久恵訳、医学書