小説「新・人間革命」 薫風 19 2012年 2月20日

山本伸一は、大内堀義人に言った。
「研究者のなかには、ともすると、独り善がりになり、自分が、いちばん偉いように思ってしまう人がいる。
すると、研究面でも、視野が狭くなり、伸びていかなくなってしまうものです。すべての人から学んでいこうという、謙虚な向上心が大事なんです。
特に、信心の世界にあっては、学会の組織から孤立してしまったり、求道心を失うようなことがあれば、行き詰まってしまいます。
学会の本流に身を置き、先輩とよく相談しながら、広宣流布に邁進し抜いていってもらいたい。それが重要なんです」
その語らいから四年ぶりに、伸一は、北九州文化会館で、三人の歯科医師と会ったのだ。皆、決意通りの道を進んでいた。
福富淳之介は前年三月、三賀正夫は今月、それぞれ北九州市内に、歯科医院を開いたのである。
また、学会の組織にあっても、福富は小倉北区の男子部長をしており、三賀は八幡西区の男子部長をしていた。
二人が北九州にとどまったのは、自分の信心の故郷になった地で、社会貢献することによって、地域への恩返しをしたいとの思いからであった。
一方、大内堀義人は、九州歯科大学で、助手として研究・教育にいそしみ、学会の組織では、北九州圏の男子部指導部長に就いていた。
さらに、福富の父親も、大内堀の父親も学会に入会していた。
三賀の父親は、入会はしていないものの、学会のよき理解者となって、さまざまな協力を惜しまなかった。
彼らは、学会活動に励むなかで、戸田城聖が『青年の戦い』として示した「青年訓」の次の一節を、深く心に刻んできたのである。
「青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。
その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」
そして、親を愛し、その恩に報いる自分になろうと深く心に決め、実践してきたのだ。