小説「新・人間革命」 薫風 21 2012年 2月22日

翌五月二十三日の午後一時、山本伸一は、北九州創価学会支部結成十七周年を記念する勤行会に出席した。
伸一の会長就任式となった、一九六〇年(昭和三十五年)五月三日の本部総会の席上、北九州創価学会の淵源となる、八幡支部筑豊支部が結成され、十七周年を迎えたのだ。
勤行会で伸一は、既成仏教が、今日、なにゆえ、葬儀のための宗教のようになり、活力を失い、民衆と遊離していったのかを考察していった。
「その理由は、端的に言えば、宗教の伝統と権威の下に、民衆が従属させられてきたことにあります。
信徒、民衆は、教団の権威に額ずき、何かを捧げなければ功徳がない、とする一方通行的な上下の関係がつくられてしまったことです。
その結果、民衆の自発、能動に基づく、生き生きとした信仰活動の芽は摘み取られ、宗教の活力もまた、失われてしまったと見ることができましょう。
それに対して、わが創価学会は、どこまでも民衆が主役であり、御本尊と一人ひとりが直結し、御書を根本に、互いに励まし合いながら、自己の人間完成と幸福、そして、社会の建設をめざすものであります。
いわば、私どもの広宣流布は、宗教的権威の呪縛から、民衆を覚醒させ、人びとの自発と能動の力を引き出していく運動ともいえます。
だからこそ、民衆の活力にあふれた、ダイナミックな活動が展開され、現代社会の新しい宗教運動の潮流を開くことができたのであります」
伸一は、一人ひとりが御本尊と直結した信仰であってこそ、人間の平等観が確立され、民主的な運営がなされると確信していた。
彼は、日蓮仏法が、永遠に生きた宗教として栄えゆく在り方を、考え続けていたのである。
勤行会のあと、伸一は、市内を視察した。
若戸大橋を渡り、高塔山公園などを訪れた帰りに、昨年三月、小倉北区に開業した福富淳之介の歯科医院の前を通ってもらった。