小説「新・人間革命」 薫風 22 2012年 2月23日

福富淳之介の歯科医院は、茶色のタイル張りの外壁で、二階建ての建物であった。同行の幹部に山本伸一は言った。
「立派な造りだね。よかった。
三賀君の歯科医院には行けないが、よろしく言ってください」
伸一は、彼らの成長と勝利を、いつまでも見守っていこうと心に誓い、題目を送った。
翌二十四日は、夕方から、北九州文化会館で福岡県創価学会の功労者追善法要が予定されていた。
この日も伸一は、わずかな時間を見つけては、文化会館に来る人たちに声をかけ、一緒に記念のカメラに納まるなど、同志の激励に余念がなかった。
追善法要では、導師を務め、厳粛に勤行を行い、懇ろに物故者を追善回向した。
そのあと、マイクに向かった伸一は、誰人も避けて通ることのできない生死の問題を、三世の生命観のうえから、明確に説き明かしているのが、日蓮大聖人の仏法であることを述べ、その法理の一端を語っていった。
「私どもの生命は永遠であり、今世から来世、来世から、さらに次の世へと生まれていく。それを順次生と言います。
そして、今世の所業によって次生以後の果報、すなわち報いが決定されていくと説かれています。
つまり、無始無終に連続する生命活動にも、厳然と因果の理法が存するのであります。
今世において、御本尊を受持し抜き、強盛に信心を貫いた場合には、それが因となって来世の成仏が約束される。
反対に、正法を誹謗した場合は、来世に無間地獄に堕ちる因をつくっていると説かれているんです。
したがって、今世において、人びとの幸福を願い、広宣流布の使命に生き抜いていくならば、どんなに辛く苦しい思いをしようが、たとえば、大弾圧の果てに命を奪われようが、来世の成仏は間違いありません」
三世の生命という法理を知ることから、正しい価値観も、人生観も、そして、真実のモラルも確立されるのである。