小説「新・人間革命」 薫風 28 2012年 3月1日

ダッ、ダッ、ダッ、ダッ……。
アパートの階段を、勢いよく駆け上がる足音が響いた。一九七七年(昭和五十二年)五月二十五日の夕刻のことである。
青年が息を弾ませ、部屋のドアを開けた。中には、三人の学生が待機していた。
「おい、急げ! すごいことになったぞ。佐賀文化会館に着かれた山本先生が、創大生を呼んでくださった」
呼びに来たのは、この年の三月に創価大学を卒業し、佐賀市内の害虫駆除会社に勤める、男子部班長(現在のニュー・リーダー)の出井静也であった。
出井は、この部屋に住んでいた。階下は、彼が勤めている会社の営業所になっていたが、人は誰もいなかった。
部屋にいたのは、佐賀県出身の、創価大学に学ぶ三人の学生部員であった。
彼らは、「山本先生が佐賀を訪問される予定である」との連絡を先輩から受け、『何か、お手伝いしたい』と帰省してきたのだ。
三人は、出井が乗ってきた車で、急いで佐賀文化会館に向かった。
そのうちの一人は、慌ててアパートを飛び出したため、靴下も履かず、ネクタイもせずに出てしまった。
一方、佐賀文化会館では、山本伸一が、創大生たちの到着を待っていた。
伸一は、この日、午後二時前に北九州文化会館を発ち、新幹線、特急列車を使い、鳥栖駅から車に乗り換えた。
そして、午後四時半過ぎ、小雨のなか、佐賀文化会館に到着したのである。佐賀訪問は十年ぶりであった。
彼は、到着するや、歴代会長の文字を刻んだ石碑の除幕などを行い、休む間もなく、午後六時前から、青年部を中心とした五十人ほどのメンバーと、懇談会をもった。
『青年と会おう! 青年を育てよう! 青年こそ、広宣流布のバトンを託す人なれば』
伸一は、そう深く心に期しながら、真剣勝負の思いで、九州指導を続けていた。
自らの生命を力の限りぶつけてこそ、青年という金鐘が、共感の大音声を放つのだ。