小説「新・人間革命」 薫風 30 2012年 3月3日

山本伸一は、婦人部や女子部学生局、男子部、壮年部の代表にも声をかけ、一人ひとりを包み込むように激励していった。
それから、後ろの方の席に座っていた、痩身の丸顔の青年に視線を注いだ。
創価大学を卒業し、二年前に佐賀県に帰り、市役所に勤めている寺津克彦である。
伸一と目が合うと、寺津が語り始めた。
創価大学一期生の寺津克彦です。
現在、佐賀県で活躍している、創価大学出身の男女青年部員は九人おります。今回、そのうちの代表が、役員をさせていただいております。
また、現役創大生の学生部員が三十五人います。本日は、そのうち、三人が佐賀に帰っています」
「そうか。創大生が、わざわざ帰って来ているのか。お会いしよう。すぐにお呼びしてください。卒業生も、みんないらっしゃい」
「はい。ありがとうございます」
寺津は、一階の事務室にいる役員の創大出身者のもとに走り、伸一の言葉を伝えた。
そして、寺津と一緒に懇談会に出席していた出井静也が、自分のアパートに待機している現役創大生を呼びに行ったのである。
伸一は、懇談会の会場で寺津らが出て行くのを見て、佐賀県長の中森富夫に言った。
「青年たちが、よく育っているね。嬉しいね。本当に嬉しい。二十一世紀の佐賀は強いよ。これからが楽しみです」
中森は、「はい。そう思います」とメガネの奥の目を細め、品のよい微笑を浮かべた。
未来の勝敗は、今、どれだけ青年のために力を注ぎ、育んでいるかにかかっている。
中森は、不動産会社を営む五十歳の壮年である。
佐賀県唐津近郊で、炭鉱と酒屋を営む家の跡取り息子であったが、東京大学に進み、滋賀県の化学繊維会社に勤めた。
母親は病弱で、彼は父母から、再三にわたって、「早く実家に戻って、家業を継いでほしい」と言われていた。
炭鉱にも、酒屋にも興味はなかったが、一九五三年(昭和二十八年)、親孝行のつもりで佐賀県に帰った。