小説「新・人間革命」 人材城 15 2012年 4月26日

坂上良江は、さらに山本伸一に語った。
三角駅などのある地域は、三角総ブロック(現在の支部)になっております。
メンバーは、先生が三角港に着かれ、熊本県への第一歩を印された十一月十六日を、『三角の日』と決めて、頑張っています。
毎年、この日には、地域の皆さんに呼びかけ、セミナーなどを開催してまいりました。
また、先生がご訪問された当時、三角駅にあった長イスを、地元のメンバーがもらい受けて、大切に保存しております」
この長イスをもらい受けてきたのは、三角総ブロックの総ブロック委員(現在の支部婦人部長)をしている佐々井ユリであった。
彼女は、三角の出身であったが、結婚して長崎県佐世保に移り住み、一九五六年(昭和三十一年)に入会した。
夫は、六二年(同三十七年)に、四人の子どもを残して他界する。彼女は、やむなく実家のある三角に戻り、会社勤めをしながら、子どもを育てた。
自分の宿命を信心で転換しようと、学会活動にも懸命に取り組んだ。
三角で活動に励むなかで、佐々井は、この地こそ、伸一が熊本県訪問の第一歩を踏みだした場所であることを知った。
感激に胸が高鳴るのを覚えた。やがて、彼女は、三角総ブロックの総ブロック委員になる。
『わが総ブロックは、いわば、熊本広布の黄金の歴史を刻んだ地なんだ。
この自覚と誇りを、三角の全同志の胸中に打ち立て、学会模範の総ブロックをつくろう!』
そう決意した佐々井は、三角港で伸一を迎えた人たちから話を聞いて、その感動を皆に伝えた。また、伸一の三角訪問の縁となる何かがほしいと思った。
駅を訪ねてみると、伸一の訪問時に、駅舎で使われていた長イスが廃棄処分されることになり、倉庫に置いてあることがわかった。
彼女は、それをもらい受けたのである。
この長イスは、三角総ブロックの宝となった。皆が、この長イスを見ては、熊本広布への伸一の思いを偲び、互いに鼓舞し合った。