小説「新・人間革命」 人材城 20 2012年5月2日

原谷の家は貧しかった。子どもは、長男の永太を頭に三男四女で、上三人が男だった。
家は掘っ立て小屋同然で、屋根は杉の皮を敷いただけだった。
雨が降ると畳を上げ、破れた布団を体に巻いて、壁にもたれて寝た。
父親は、大工をしていたが、儲けた金のほとんどは酒代に消えた。毎日、外で酒を飲んでは酔いつぶれた。
兄弟三人で、酔いつぶれた父親を、リヤカーで家に連れ帰るのが、幼少期からの日課だった。
三兄弟は、中学生の時から父の仕事を手伝わされた。口答えをしようものなら、げんこつの雨が降る。
「大工は、勉強なんか、せんでよか!」というのが、父親の口癖だった。
兄弟の進路は建築関係と決められており、永太は中学を出ると、父のもとで働いた。
彼が十七歳の時、母親が心臓麻痺で他界した。母は喘息で苦しんできた。
医師は、「発作を止めるために打っていた注射が、心臓に負担をかけたんだろう」と言った。
ほどなく永太は、福岡県・八女の工務店に修業に出た。昼は工務店で働き、夜は建築学校の定時制に通った。
給料は授業料以外、家への仕送りに充てた。
母親が亡くなった翌年、父親は再婚した。十人を超す大家族になった。
その結婚式のために、父親は永太の工務店の社長に掛け合い、半年分の給料を前借りした。
永太は授業料が払えず、結局、建築学校を中退した。
やがて永太は、父親に言われて、実家に戻り、父が始めた工務店を手伝った。
父親は、従業員の紹介で、創価学会に入会していた。
永太のもとへ、学会の青年が仏法対話に通うようになった。
永太も母親同様、子どものころから喘息に苦しみ、発作で何度も死ぬような思いをしてきた。
青年は、自身の体験を語り、「君の病は、必ず克服できる!」と言い切る。
その確信に打たれ、一九五七年(昭和三十二年)三月、永太は入会した。二十歳の時である。
友の迷いの暗雲を打ち破る力は、体験に裏打ちされた確信の言葉である。