小説「新・人間革命」 人材城 21 2012年5月3日

原谷永太は、仏法で病を克服できるものならと、真剣に信心に励んでみた。入会して半年ほどしたころ、喘息の発作が、起こらなくなっていることに気づいた。
『こぎゃんこつがあっとか。信心はすごか』
その事実と喜びを伝えたくて、親戚、友人に仏法を語っていった。
歓喜こそ弘教の原動力である。功徳の喜びは、おのずから人に語りたくなる。弘教は正法を持った人の、自然の振る舞いといえる。
永太に言われ、次男の正太や妹たちも入会した。永太と正太は、学会活動に参加するなかで、自分の小さな世界が、大きく開かれていくのを感じた。
それまで彼らは、『俺たちの人生は、誰にも気づかれず、道端で、いつの間にか枯れていく、草のようなものだ』と感じていた。
およそ、「大志」や「理想」とは、無縁な一生にちがいないとの思いがあった。
しかし、学会の会合に出ると、先輩たちは、「われわれには、新しき世紀を開き、次代の大指導者になる使命がある!」
「自らに秘められた無限の可能性を開くのが仏法だ!」と、声を大にして訴えるのである。
周囲にいるのは、泥がついた作業服姿の農家の青年や、油の臭いが染みついたジャンパーを着た工場勤めの青年たちである。
背広を着て、ネクタイをしている人は少なかった。
でも、皆が、燃えていた。火傷しそうなぐらいの熱を放ち、目を輝かせ、頬を紅潮させて、「人びとの不幸ば見過ごすわけにはいきまっせん。
広宣流布の使命に生き抜いていきます!」と決意を披瀝するのだ。
また、皆の語る体験は、仏法の偉大さを痛感させた。
唱題第一で闘病生活に打ち勝ち、結核を克服したという人もいれば、裸一貫から身を起こし、工場を経営し、地域に大きく貢献している人もいた。
原谷兄弟は、「希望」を感じた。「勇気」を覚えた。
人間は、自分を信ずることができれば、無限の力が湧く。蘇生もできる。そのための生命触発のスクラム創価学会なのだ。