地域社会に教育の陽光を   2012.4.28/29/30付

相談できる先生は「希望の灯台
御聖訓に説かれた東洋の英知
陰徳あれば陽報あり
 
 日蓮大聖人が教えてくださった金言に、「陰徳あれば陽報あり」(御書1178㌻等)とあります。
 陰で人知れず善の行動を積み重ねた人こそが、必ず最後は真実の栄光に包まれるという、生命の厳たる因果の理法であります。
 私は、この「陰徳あれば陽報あり」の仰せを、「立宗の日」を記念して、妙法の人間教育者の皆様方にあらためて捧げたいと思うのであります。
 人を育てること、人を励ますこと──それは、まさしく、たゆみない「陰徳」の労作業だからです。
 教育は、人間それ自身、なかんずく若き多感な生命に関わっていく聖業であるがゆえに、言い知れぬ労苦の連続でありましょう。
 時として、こちらの誠意がなかなか通じないこともある。思うように目に見える結果が出ないこともある。真心の努力が報われず、割に合わないように思えることもある。
 それでも悪戦苦闘を突き抜けて、ただただ子どもたちの生命の可能性を信じて、祈り抜き、尽くし抜いていく。見返りなど欲せず、賞讃など求めようともしない。しかしこ必ず必ず「陽報」は現れます。
 時が来れば、たとえば、目をみ作るような子どもたちの成長となり、奇跡のような勝利の晴れ姿となって光るでしょう。また、教え子たちや、その家族からの消えることのない感謝と敬愛となって還ってくることもあるでしょう。
 そして、自らの蒔いた「陰徳」の種が大樹となって育ちゆく未来を見つめながら、尽きることのない喜びと充実と満足に包まれていくのではないでしょうか。
 この生命の宝冠こそ、人間教育者の偉大なる「陽報」なりと、私には思えてなりません。
 その尊き模範が、教職を立派に勤め上げ、豊かな経験を生かしながら、地域社会の依怙依託となって活躍してくださっている、わが創価の「教育名誉会」の方々であると、私は声を大にして申し上げたいのであります。
 「教育名誉会」の先生方の大きなサポートをいただきながら、わが教育本部は、社会的な活動として、「教育相談室」と「人間教育実践報告大会」(人間教育フォーラム)を、力強い両輪として推進してきました。それぞれに多忙を極めるなか、この活動にボランティアとして時間を割いてくださっている皆様方に、本当に頭が下がります。
 「教育相談室」は、今年で開設44年になります。
 設置された1968年(昭和43年)の当時は、ベトナム戦争が続き、人権運動の闘士キング博士が暗殺され、東欧の「プラハの春」は踏みにじられ、アフリカのビアフラでは子どもたちが飢餓に苦しんでいました。日本は高度経済成長で、こぞって富の豊かさを追求する一方、公害が深刻化し、大学での学園紛争も激しさを増して、青少年の心が揺れ動く真っただ中でした。
 このとき私は、長年、教育現場での難問に全力で奮闘されてきた熟練の先生とじっくり懇談しました。その苦労を伺い、功労を讃えながら、私は「あなたの貴重な経験・知識を、地域で生かしてみてはいかがですか」と提案しました。やがて、第1号の「教育相談室」が、東京に誕生したのです。
 教育はあくまでも普遍性の次元ですから、信仰の有無を問わず、地域社会に広々と開かれた相談室としてスタートしました。
 本年3月には、大分県にも開設され、現在は全国35カ所にまで発展しています。来談者の総数も、36万7000人を超えました。
 御書には、「植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない」(1468ページ、通解)と説かれています。
 良き教育者が身近で見守ってくれていて、いざという時に相談できるということは、何より心強い支えではないでしょうか。
 相談内容は、当然、一律ではなく、さまざまなケースがあります。一人一人の話に真摯に耳を傾け、時には、お子さん方と一緒に遊んだり、運動したりしながらと、工夫を凝らし、誠心誠意、取り組んでくださっています。
 何度も面談を重ねて、一歩ずつ、よりよく変化していくことを粘り強く見守り続けていくなかで、お子さん自身が大きな成長のきっかけをつかむことができたという、嬉しい報告も届きます。
 また、すれ違っていた母と子の心の距離を縮める機会ともなる。さらには、父親とも関わることで、家族全体が大きく変わることができ、好転していったケースも少なくないようです。
 
「教壇の教師」と「地域の先生」と
 愛するお子さんのことで悩む保護者にとって、どうしていいのか分からない状況に追い込まれてしまったとき、教育本部の皆様方からの的確なアドバイスが、どれほど希望の光となっていくことか。
 「地域の希望の灯台」とは、教育相談室を担当してくださっている先生方にお贈りした言葉です。相談室は、文字通り、暗夜の荒海を照らす「希望の灯台」のような光を放っています。
 現在、相談事例の7割を占めるのは、「不登校」に関することだと伺いました。原因はそれぞれ、さまざまだと思いますが、子どもを取り巻く社会自体が閉塞している昨今の時代状況のなかで、お子さん方も親御さん方も、どんなに苦しんでおられることか。そうしたご家族に応援の手を差し伸べる意義は、あまりにも深く、尊い
 「教壇の教師」として、また「地域の先生」として、誇りも高く献身してくださる皆様方に、最大の敬意と感謝を表します。
 教育相談室は、幅広い年齢層が対象となっています。
 異なる一つ一つの状況に合わせ、丁寧に対応していくことで、現実に子どもが学校に戻ることができた事例も、数多くあります。親も子も、真心のサポートを得て、苦境を乗り越える力を湧きたたせ、強く朗らかに成長することができたのです。
 このたびの東日本大震災の被災地では、子どもたちの心のケアが叫ばれています。仙台教育相談室のメンバーが、避難生活を送る子どもたちのもとを訪れ、一緒に遊ぶなど楽しい交流のひとときに、明るい歓声が響いたと伺いました。
 悩む心に寄り添い、誠実に傾聴する皆様方の振る舞いは、菩薩そのものです。
 日蓮大聖人は、菩薩について、「自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念《おも》う者」(御書433ページ)と仰せになられました。
 人々の苦しみや悲しみに同苦し、自らが労苦を引き受けて、皆に希望と勇気を贈っていく戦いこそ、菩薩の真髄です。
 それは、教育相談室に脈打つ精神そのものなのです。
 ある中学生は、いじめから不登校になりました。母と一緒に、すがるような思いで教育相談室に行きました。
 迎えてくれた担当の先生は何も問い質そうとはせず、常に優しい笑顔で、一緒に楽しく卓球をしてくれたといいます。
 「この先生は味方だ。全てを受け入れてくれる人なんだ」──その安心感を支えに、高校へ進学し、歯を食いしばって通い抜きました。その後も専門学校で学び抜いて、立派に介護士の資格を勝ち取りました。
 「あの苦しんだ日々があるから、今の自分がある。今、自分が生きているのは、あの先生のおかげです。恩返しをしたい。自分も人のために役立つ仕事をしたい」との誓いからです。今は、同じ悩みを抱えた後輩たちのためにも、教育本部の方々と手を携えて献身してくれています。
 「一つ一つ勉強し、研修しながら、悩める子どもや親たちの相談を受け止めてこられた教育相談室の皆さんのご努力に心から敬意を表したいと思います」等と、識者の方からも多くの声が寄せられています。
 この教育相談室の活動が、時代に即応しつつ、地域の教育力の向上に、ますます重要な貢献を果たしていかれるよう期待しています。