地域社会に教育の陽光を  ㊥2012.4.28/29/30付

「よき実践」こそ最高の教育理論
 
米デューイ協会・ヒックマン元会長
教育実践記録は貴重な事例研究 世界の教師たちも読んでほしい
 
 「教育相談室」とともに、新生の波動を広げている社会的活動が、「人間教育実践報告大会」や「教育セミナー」です。
 全国レベルの人間教育実践報告大会は、1976年(昭和51年)に開かれた東京・立川での第1回大会から、これまでに34回の歴史を重ね、各地で方面・県単位の大会も行われてきました。
 発表される教育本部の先生方の奮闘の模様が、毎回、大きな感動と共感を呼んでいます。当代一流の識者の方々からも、その意義を深く汲みとった講評をいただいています。
 「外から与えられた教育理論ではなく、子どもと直接触れ合い、だれよりも子どものことを知る教師の実践に裏打ちされた教育理論こそ今、必要なのです」と言われ、教育本部が蓄積してきた「慈愛」と「知恵」と「勇気」の3つの実践知を高く評価してくださる先生もおられます。
 また、ある先生は、「素晴らしい実践は、即、素晴らしい理論です」と賞讃してくださっています。
 実践即理論──個々の教育者の「実践」が「理論」として共有されれば、また新たな「実践」を生み出していく力となります。一人一人の教育現場での経験から、必ず良き知恵が触発され、さらに現場で生かされていきます。
 「教育社会にも一顧されない様な旧来の教育学を棄て、新しい教育学を実証的、科学的に蘇生せしめて、実際の教育生活に密接なる関係を保たせようとしたのが、この創価教育学である」
 こう宣言された牧口常三郎先生も、人間教育実践報告大会の展開を、いかばかり喜んでくださることでしょうか。皆様方の、地味に見える日々の努力こそ、創価教育の父・牧口先生に直接つながる価値創造の行動であります。
 ジョン・デューイ協会の会長を務められた南イリノイ大学のラリー・ヒックマン教授は、創価の「教育実践記録」について、「教室での問題解決のための非常に貴重な事例研究(ケーススタディ)」になると評価してくださいました。そして、「適切に編集し、世界各地の教師たちにも読めるよう出版していただきたい」とも望まれていました。
 現場に徹し抜いた人間教育の具体的な事例にこそ、全世界に通ずる普遍性の広がりがあるのです。
 さらに、この春に発刊された対談集『地球を結ぶ文化力』の中で、共著者である中華文化促進会の高占祥主席は、私が「教育実践記録」や「教育相談室」について紹介すると、次のような信念の言葉を贈ってくださいました。
 「青年は祖国の未来です。民族の希望です。人類の春です。家庭の朝日です。
 青年は、一つのいまだ磨かれざる玉の原石です。真誠をもって彫刻し、磨かなければなりません。
 青年は、一株の苗のようなものです。愛の心をもって、水を注がなければなりません。
 ……学校での教育だけではなく、あらゆる社会のすべての人々が言葉で教え、身をもって教えることが大切ではないでしょうか」
 どんなに遠大な社会変革の構想があっても、ただ演説するだけでは、世界は変わりません。
 眼前の一人の若き命に関わり、真心を込めて励ましを贈っていくことこそ、希望の未来を創り開きゆく最も確実な布石であります。
 その意味から、これからも、日々、胸を張って、黄金の実践記録を積み重ねながら、使命の大道を歩み抜いていただきたいと念願するものです。
 さて、「教育相談室」の相談内容でも、また実践報告大会の発表でも、「いじめ」やそれを背景としたものが少なくありません。
 いじめが原因で、未来のある青少年が自殺したというニュースほど、胸の掻きむしられる悲しみがあるでしょうか。
 「人格の尊重」「生命の尊厳」を、すべての根底にしなければならない。私の創立した創価学園では、「いじめ」も「暴力」も、断固として許しません。この問題については、私自身、これまでも幾たびとなく言及してまいりました。
 教育現場の先生方のお話では、年々、いじめの様相も変化し、捉え所がないほど複雑になってきているようです。しかし、現象面の変貌にかかわらず、いじめで苦しむ子どもがいるという事実は変わらない。
 「いじめられてもいい子」など、断じておりません。「いじめられる側にも原因がある」などと、いじめを正当化させても決してならない。
 「いじめは、いじめる側が100%悪い」──この本質を絶対に見失ってはなりません。
 最も重要なことは、「早期発見」です。クラスのちょっとした変化を見逃さない鋭敏な感性を磨くことです。そのためには、常に子どもたちと対話し、心の交流を重ねていくことが肝要ではないでしょうか。
 その上で、いじめが分かった時に何より大事なことは、いじめそのものを二度と起こさないようにすることです。犯人捜しは二の次です。かえって事態を悪化させてしまう場合さえあるからです。
 まず、いじめがあったという事実を、クラスならクラス全員が、きちんと見つめることです。加害者はもちろん、はやし立てた子も、傍観した子も含めて、誰一人として「自分は関係ない」という人はいないことを明確に伝え、「いじめは絶対にいけない」という意識を子どもたちと共有して、皆で乗り越えるために力を合わせることです。
 いじめは被害者を傷つけることはもちろんのこと、実は加担した子ども自身の生命をも傷つける罪悪であるからです。
 どの子も等しく、「幸福」になるために生まれてきています。
 御聖訓に断言されている通り、「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」(御書1596㌻)なのです。
 「いじめ」という暴走を生む、一つの原因に「差異」の排除があります。だからこそ、子どもたちと共に、一人一人の個性を大事にすること、また個性に違いがあるゆえに、相互の対話が大事であることを学んでいきたいと思います。
 私が共に対談集を発刊したデンマークの教育者ヘニングセン博士(国民高等学校アスコー校・元校長)は、「私たちは『差異のある世界』に生きています。ゆえに、『差異を認め合う』ことが、最も大切な点です。そして、『差異を認め合う』ことは、本当の対話のための必須条件なのです」と語られていました。
 差異を認め合う勇気を持って、対話に踏み出すことから、新しい道が必ず開けます。私自身、この信念で、今も世界との対話を続けております。
 
「子どもの声が届く社会」を!
 人は互いの多様性から学び合い、「差異」をむしろ価値創造の源泉とすべきです。「自由」と「放縦」、「幸福」と「快楽」、「差異」と「差別」をはき違えていると言われる現代社会にあって、子どもたちが「差異」を通して何を学ぶべきか、見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
 また最近は、子どもたちが家庭においても、決して守られているとはいえない状況があります。その弱い存在の子どもたちが、自分より弱い立場にある子どもを見つけて、いじめているケースもあると聞きます。背景には、社会で抑圧されている大人の歪みが、子どもたちに投影されてしまっているという、いじめの連鎖があります。
 子どもたちを取り巻く環境を、「子どもの幸福」を根本思想とする「教育のための社会」へと転換していくことが、切実な課題です。そのための学校、家庭、地域、行政を含めた、子どもを守るネットワークの構築が求められます。
 「教育のための社会」とは、何にもまして「子どもの声が届く社会」といえましょう。
 子どもたちの小さな叫びに耳を傾け、それに応えていく社会であってこそ、大人も子どもも幸福で平和に生きることができる。子どもの幸福を追求することは、大人の喜びと生きがいにつながっていきます。
 子どもの声を代弁し、子どもの命を守り抜く、一人の教育者の声にこそ、その子を救うのみならず、家庭を救い、社会のありようをも変える力が秘められていると、私は祈りを込めて強く申し上げたいのです。
 
我らの使命は「生命の安全地帯」
 
インドネシア・ワヒド元大統領
家庭や学校、隣人からも誠実と寛容を教えられた