地域社会に教育の陽光を ㊦  2012.4.28/29/30付

我らの使命は「生命の安全地帯」
 
インドネシア・ワヒド元大統領
家庭や学校、隣人からも誠実と寛容を教えられた
 
 2010年10月、創価教育の80周年を記念するシンポジウムが神奈川文化会館で開催されました。その折、教育実践記録の3000事例を対象にした分析結果の報告を受けたことを、私は鮮明に覚えております。
 そこでは、教師に望まれる子どもへの「5つの関わり」が抽出されていました。
 その5つとは──
 ①「信じぬく」
 ②「ありのまま受け容れる」
 ③「励まし続ける」
 ④「どこまでも支える」
 ⑤「心をつなぐ」
 教師のみならず、人材を育成する上で、心すべき「関わり」「結びつき」の指標といってよいでしょう。
 私は教育提言「『教育のための社会』目指して」で、「人間が人間らしくあること、本当の意味での充足感、幸福感は、結びつきを通してしか得られない」と指摘しました。
 結びつきは相互作用です。子どもは一方的に大人から庇護される存在ではありません。やがて独り立ちし、自ら他者と結びつくことを学びゆく、一個の尊い人格です。
 ゆえに、子ども自身が「自分の人生を切り開く力」を養うとともに、「人とのつながり」「心の結びつき」を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります。
 子どもが悩みや苦しみに負けず、一緒に力を合わせて困難を乗り越えていけるように、懐深く支えていく大人の存在が何より大切です。
 信頼できる大人が見守り、励ましてくれることは、子どもたちに安心と向上をもたらしていきます。
 私が対談した、忘れ得ぬインドネシアの哲人指導者・ワヒド元大統領がしみじみと語っておられました。
 「祖父や父だけでなく、学校の先生や地域の人たちからも、誰に対しても誠実に接し、寛容の精神を持つことの大切さを教えてもらいました。
 私が尊敬するのは、どんな困難があっても、決して退かない精神がある人です。たとえ逃げ出したくなるような状況にあっても、自らを鼓舞するだけでなく、多くの人にも同じ実践ができるようにする存在であります」
 いかなる苦難にも、若き生命が伸び伸びと成長するための盤石なる安全地帯が、わが教育本部です。ここに我らの重要な使命があります。
 教育現場が、いかに厳しい状況にあろうと、「子どもが主役である」との視点を堅持し抜いていきたい。「自らが価値創造していく力」と「他者と結合していく力」を、子どもたちが身につけることが、幸福へ前進していく最善の道だからです。
 自ら価値創造し、他者とつながっていく──これは、仏法を実践する基本である「自行化他」にも通じています。
 この両翼こそが、子どもたちが人生の大空へ羽ばたき、幸福を勝ち取っていく原動力といってよいでありましょう。
 「教育は、人間生命の目的である」──これは、世界的な名門学府であるアメリカ・コロンビア大学の仏教学者、ロバート・サーマン博士の信条です。私は「社会のための教育」から「教育のための社会」へというパラダイム(思考的枠組み)の転換を、このサーマン博士との交流から着想しました。
 博士は、そのことを大変に喜んでくださいました。ご自身も「教育のための社会」というビジョンを、「釈尊の教えに学んだものです。仏の立場から見れば、人間はすべて、かけがえのない宝物です。そして、その宝物である人間は、生涯にわたり(地獄や奴隷のような状況から解放される)自由と機会を与えられた存在なのです」と述懐されています。
 仏法の中から、最高の人間教育の真髄を美事にくみ上げられたのです。慧眼です。
 博士は、こう結論されました。
 「人間は何のために生きるのか──それは学ぶためである」と。
 私も全面的に賛同いたします。
 学ぶことは、生きることです。
 生きることは、学ぶことです。
 そこに、生命の成長があり、人生の幸福があります。
 あえていえば、「人は、自らを教育するために生まれてきた」のです。
 迫害の中でも学ぶことを手放さなかった大詩人ダンテは、自著に次の箴言を記しました。
 「われ若し片足を墓に入れるとも、知識を得ることを欲するであろう」
 すべての子どもたちが「教育」という人生の究極の目的が果たせるよう、日夜、教育現場で奮闘し、「教育相談室」や「人間教育実践報告大会」(人間教育フォーラム)などを通じて地域・社会の教育力の向上に取り組んでおられる教育本部の皆様は、私にとって、喜びも苦しみも分かち合う無上の同志です。
 法華経には、生命尊厳の極理を弘めて人々を救おうとするならば、「如来の室」に入り、「如来の衣」を着し、「如来の座」に座って説くべきであると示されています(法師品の「衣座室の三軌」)。
 もともと仏法の弘教の方軌ですが、私は人間教育の要諦にも通ずると拝してきました。
 「如来の室」とは「仏の大慈悲心」のことです。敷衍して申し上げれば、大きな慈愛の中に、子どもを包み込んで、「抜苦与楽」の対話をしていくことです。「教育相談室」という「室」それ自体が、そうした慈悲に満ちているといっても、過言ではないでしょう。
 「如来の衣」とは「柔和忍辱の心」です。何があっても揺るぎなく、柔和な笑顔で子どもたちを受け止めて、忍耐強く励まし続ける力です。
 さらに「如来の座」とは、少々難しい表現で「一切法空」と説かれ、あらゆるものに不変の実体はないと知る智慧を意味します。ややもすれば、先入観念など、教育現場で陥りがちな思い込みを排し、現実の課題に柔軟に即応して、どこまでも「子どもの幸福」のために自在の智慧を発揮していくことでしょう。また、「御義口伝」に、如来の座について「不惜身命の修行」(御書737㌻)と仰せの如く、わが身を惜しまず戦い抜くことが、その極意です。
 私たちは、この仏と一体の慈愛と忍耐と智慧を、いやまして光らせながら、「教育のための社会」へ、また「いじめのない社会」へ、そして「すべての子どもたちが幸福に輝く社会」へ、勇気凛々と邁進していこうではありませんか!
 
 ヘニングセン博士の言葉は『明日をつくる教育の聖業』(潮出版社)。ワヒド元大統領の言葉は『平和の哲学 寛容の智慧』(潮出版社)、ダンテが記した箴言は『饗宴』に引かれたセネカの言葉(中山昌樹訳、日本図書センター)=現代表記に改めた。